6月まとめ

  • 2019.06.30 Sunday
  • 23:59

6月最終日だから一応まとめを

 

・ジムは13回だった

多分1日に二回受けるのを辞めたことも原因だし、少しペースも落ちている。でもやっぱり行かない日が続くと気分の落ち込みが激しいような気がするのでまだ辞められないなあと思う。引っ越しをしたら、他の便利なところはないかなとちょっと思う。

 

・読んだ本は約19冊

これもちょっと失速中。ジャンル的にはまっているものがない。毒親関係もある程度マスターしてしまった感じもある。

何をもっと知るべきなのか、わからなくて迷いすぎ。

 

・DTMは数回だけ。時雨のコピーをちょっとだけやってみたのと、過去に作った曲の整理。気持ち的には楽しいというより義務っぽかった。

 

・ギターはyousicianを久しぶりにやってちょっとハマった。でも有名な音楽増えてないから課金はしない。日本だとできる曲が少なすぎる。そこは本当につまらない。でも、島村楽器が作ったというギタトレというアプリをちょっとやってみたらそっちの方がもっとつまらなかったから、アプリとしてyousicianは優秀だと思った。

 

・映画館で見たのは2つ。なかなか毎週見たいものがあるわけじゃないなあとちょっと気づく。無理矢理でも何か見に行った方がいいんだろうか。感情を殺さないために。ライブは0。ここをまず変えた方がいいかもしれない。

 

・今月中旬くらいから家にいられない気持ちも強くなりすぎて作業や勉強より外に出るようになってしまった。付き合いが増えるとそのぶんお金も出るし食べるし飲むしでだいぶ身体が乱れた。発見は色々あったけれど集中力は低下気味。

 

・TEDは後半にいくにつれてどんどん見なくなっていった。これは意思が弱すぎただけかもしれない。見てどうなるのかわからなくても、決めたことはやるべきだったと思う。せめて一ヶ月くらい。反省。

 

・自分の決めたことをお金に換えるということはまだまだ全くできていない。

 

・繋がりは、セミナー的なところに行ったことと新しい住むところを探した。

 

・モーニングページは11日書いていた。これも意思が弱かったかもしれない。

 

来月の目標

 

・引っ越しがあってもとりあえずジムは行く。12回以上行けたらいいと思う。

・引っ越したら宅録環境を作ってなんらかの配信を始める。

・映画も一応週一見れたら見つつ、ライブに一回は行く。なくても何か探して行く。

・モーニングページは継続させる。サボらない。

・筋トレを二日に一回くらいするようにする。(ジムでは筋肉つかない)

・瞑想を毎日1分でもやる。

・本は20冊は読みたい。物語も読む。

・人との新しい繋がりを増やす行為をもっと頑張る。

・お金を0から作り出す研究を続ける。

 

 

来月は何かしらの作品を作りたいなとちょっと思っている。形にする行為をした方が良さそうだ。

 

 

坂口杏里という人生

  • 2019.06.30 Sunday
  • 15:58

家で洗濯していたら親に止められてしまったので一気に調子が脱落してしまった。

ジムもキャンセル。昨日、不動産帰りに行きたくて荷物も持って行ってたけれど空いてなかったから行けなくて、今日ジムのためだけに行ったら交通費かかるし、全部ジムが悪い、と勝手にそういう気持ちになっている。全く意味がない考えだ。

 

それでおきまりのザ・ノンフィクションを見ていたら坂口杏里。この人AVで話題になった時に初めて知ったレベルの人なんだけどそのあとめっちゃ何回もニュースの見出しで見て、なんだかすごい人だなって思っていた。

テレビは最初ストリップ劇場で主役的な感じなのに、色々大丈夫か・・・?と不安な感じから始まって、そこをドタキャンした報道(一応本人はダメなものでもやろうと思ったけれど劇場が許せずに責任を押し付けられただけ?)から、ただただ重いものになって行く。なんかちょーっとだけ他人事という感じもしなくて泣きたくなった。最終的に思ったのは、この人はそれでも生きていてすごい。ということ。番組では、お母さんのお墓の前で頑張るって誓ったからもう大丈夫だってまとめていた。でも、全然そうではないとは思うけど。ものすごい揺れ動いているし、なぜかとても辛い方に向かうようにしか自分をコントロールできないみたいだった。前の自分も本当にずっとそれで苦しかったのを思い出した。もしその考えを変えられるとしたら、今を生きている人だけだと思う。だから死んだお母さんに対していくら誓っても、本人がそこでどれだけ生きるぞと強く思っても、結局周り次第なところはどうしてもある。そしてその周りを見る目を養って行くことがこの先とても重要になるんじゃないかと。そんな気がする(それはまさに今の私)いつまでも自分を傷つける環境を選び続けるのか、どこかで脱出するのか。

 

一応分析してみると

・3歳くらいまで両親に無償の愛をもらっていないからか自己の存在感が不安定(親が多忙だったから?)→ホストにハマる人はそういう人が多い。

・母親は大人になってから愛情をくれたらしいのでそれで今なんとか生きて行けている気がするが、母親が亡くなった後信頼できる大人は誰一人いなかったように見える。父親だったり兄弟の影も全くない。むしろ利用されてきたとしたらかわいそうに見えた。

・世界と繋がれるような友人の存在が見えない(番組ディレクターに死にたいと泣きつくくらい誰もいないのかなと)

・風俗の仕事を辞めたいと言いながらも辞めないのは、一応指名してくれる人がいて、その人たちが指名料だとかを払ってまで会いにきてくれるという現実がどこかで救いになっているんじゃないかと。(最近は風俗と言いながらもお話だけというのをチラッとみた)

 

こんな感じ。この人は生まれた時からマスコミに騒がれる星の元にあったとナレーションされていたのだけれど、それはそうなのかもしれない。めちゃくちゃ叩かれながらもどこか放っておけないという人がきっとたくさんいて、生かされているのかなと思う。

でも多分芸で生きて行くよりは、喋りとかの方が需要はあるかもしれないなあとなんとなく感じた。

 

またツイッターで他人の感想見てしまたのだけれど、もう救いようがないねとか、普通に健全に生きろとか言っている人結構いて、本当他人事だから勝手に言えるんだよなと、実感してそんな暗い気持ちになる前に辞めた。

人の人生てそんな簡単なもんじゃない。そういうことだ

でも私はこの人がまだ死なずに生きるのなら私も生きるべきだろうとなぜか少し思ってしまった。

 

まずは今日の残りを最大限に生きる。

 

 

どろろ

  • 2019.06.30 Sunday
  • 10:25

どろろの最終回を見ての感想を書いておく。

 

やっぱり残念な感じだった。

一番「いい」終わり方、というものを考えたらああなったのかなと思うけれど綺麗にまとめすぎじゃないの?という気もする。

百鬼丸は突然全てを超越したいい人みたいになって、今まで散々死んだ方がいい人みたいな扱いだったのになんでそうなった!?とびっくり。

一番ため息が出たのは、百鬼丸が髪の毛をおろしたところがイケメンすぎて、腐女子狙いだ・・・と引く。そのイケメンとどろろが顔をくっつけてってとこは感動ではなくて恥ずかし!ってなってしまった。

でもホッとしたのは、目を取り戻して最初に見たのがお母さんでよかったねっていうこと。もう2度と会えないとしてもさ。

 

どろろってそもそも知らなかったし今回ので原作も見てみたけれど、リメイクって難しいねと改めて思った。

まず時代が違うというのもあるし、なんのためにわざわざリメイクするのかっていうのが全然わからない。こんなに変えるなら、どろろを原作にした現代風のアニメとして名前も少し変えたらよかったのにと思う。だからかアマゾンのレビューは原作好きな人ほど辛口。細かく見ているしツッコミ所もかなりその通りだと私も思う。みんな長文をつらつら書いていて、本当に手塚治虫が好きだったんだろうなと伝わるし、このアニメに期待していたんだろうなと感じてしまう。リメイクのいい点というか、意味としては私みたいに何も知らなかった人も興味を持って原作も見に行くっていう流れができるし、今いきている人たちが忘れないようにっていうのはあるのかもしれない。

まあ、えぐすぎてもう斬り合うシーンとか全く見れなかったけど。アニメといえど血が飛び散りすぎて耐えられなかった。トラウマ一歩手前ってい意味では手塚治虫ぽかったな。

 

 

毒親離れ。直感の凄さ

  • 2019.06.29 Saturday
  • 23:53

物件の見学に行く。

事前にネットで隅から隅まで見て行ったから申し込んだ二件を見て回ってどうしますか?と言われるのかなと思っていたけれど、一応条件に合わせて探してみますねと言われ、まあやっぱりネットで見たことあるものばっかりだったのだけれど色々聞いていたら事前に申し込んでいた物件は一つは無理だとわかり、見せてもらった中からも候補を出して3個見てきた。

 

最初の物件は、まだ入居中だから中は見られないと地図だけもらって外を見に行ったのだけれど、行ったことない駅に降りた時点で、なんとなく気分がよくない。物件もすごく立派な感じなのになんだか惹かれない。むしろここはパニックが起こりそうだなという謎の気持ちにちょっとなる。何がダメって、ただ気持ちだけが乗らない。駅周辺もまわって見たけれど空気が自分に合わないというか、息がまっすぐ吸い込めないし暗い気持ちになる。ちょい都心だから空気が悪いのかな、とも思うけれどとにかく居心地が悪かった。その駅でご飯を食べたのだけれど人の話し声もすごくてガンガン響いていて、落ち込む。自分の調子がダメなのかも?と思いながらも合うところって絶対にわかる気がしたからここじゃないんだろうなーとなんとなく考えながら、きっと流れでいつのまにか決まっているだろうなという考えが出てくる。

 

二件目の駅も行ったことがない駅だったのだけれど降りた途端、私ここの街のが好きだわと思った。よくわからないけれどホッとした。物件も思ったよりよくて、住んでいる自分がちょっとイメージできた。

でも一応三件目も行った。駅は一番栄えていてよかったのだけれど、物件まで歩きながらここじゃないかも、という気持ちになった。物件も全然合わなかった。というか、デザイナーズ物件って台所周りの収納も一切ないし、冷蔵庫置き場もないと知る。(コンロは飾りか?)なので二件目に決めた。

 

でも、じゃあ契約です。といざ不動産の人に言われると、え、ちょっとまって自信がないどうしようという気持ちが芽生えてしまう。実際今は親の攻撃から逃げることだけに集中していたから家賃が払えるかどうかもわからないじゃないか。ここに仕事があるのかもわからないじゃないか。なんとか生きようって思うけど、こんな精神が弱った状態でもしこの先も何もできないのだとしたら、このまま実家でのたれ死んだ方が無駄なお金使わずまだマシなんじゃないか。そんな風な考えが巡ってきてしまう。

でもちょうど移動で読んでいた本が「他人を攻撃せずにはいられない人」という本なのだけど、攻撃をしてくる人は支配力が強すぎて、攻撃を受ける側は逃げることはできないと思い込むようになってその結果無力感、失望が強くなって戦う気持ちも状況を良くするという気持ちもなくなっていくとあった。え、まさに今の私だと思ってまずい、とにかく逃げようとプラスに考えるようにしようと方向を変える。

 

結局、父親がいいよという話で名義を借りて、見学まで付いてきてくれたという事実がある。

父親は自分のしてきたことは認めないが、何故か母親のことは謝罪してくれるので逃げることにも協力的で、母親が入院しても治りもしないでお金かかるなら私が出た方がいいと言ってくれてとりあえずは協力してくれている。しばらくはゆっくりしていいとも言ってくれた(ような気がした)。「生きろ」とは直接言わないが、「生きろ」と背中を押されているような気がする。支配から抜けて、元気が出たら私も何かできるという事は忘れてはいけない。

「あんたにはできない」

「あんたにはそんな家賃払えない」

「あんたはうまれない方がよかった」

「あんたは誰にも愛されないし不幸でいるしかない」

こういう頭の中の声を全部早く消したい。年季が入っているのでしぶといのは確か。

多分この先も、ジュース一本買うときでさえ「これを買う価値が私にはあるのか?」と自分に聞き続けるのかもしれない。お金があってもなくても。

できれば実家との縁は一切切りたかったのだけれども一応父親とは連絡は取るということが条件になった。

本当は、両親も弟もこの先の話は何にも聞きたくないし実家のことも忘れたかった。人生をリセットしたくて、できれば名前を変えてしまいたいくらいだった。でもシェアハウスも入れなかったし、色々今の私の力では難しそうだった。悪い流れにどんどん飲み込まれていて自分の意思が消えかけているのも感じていた。

実家とつながっていることで過去にいちいち怯えるのも嫌なのだけれどこの流れなのだからそれで意味があるといつか思えると考えるしかない。

 

場所は知り合いも全然いないところになった。考えているととにかく不安しかないのだけれど、これは絶対に見えない運命みたいなものの力なんじゃないかと思ってしまうところもある。今、このタイミングで動いたからこその場所。

そう考えると、少しわくわくできる。

生きれるかもしれない。可能性があるとしたらそこにある。そんな風に思える。

 

負けないぞ。

動き出すための部屋なんだ。

多分大丈夫って言っていたけれど審査通らなかったらもう、なんとも言えないけれどね。

 

 

ああ、あと不動産の人が怖かったり高圧的だったりしたらやだって思っていたのに人間ぽくていい人だった。

そして問い合わせに返信こなかった所は怪しいと色々言われていると聞いた。そっちに行ってしまっていたら不動産なんて信用できない!となっていたと考えると返信こなくてよかったと思った。だってホームページの書き方から誠意がなかったもんね。

 

非日常と日常の間に生きたい

  • 2019.06.28 Friday
  • 21:52

これは美味しいねとか、あんまりだねとか言うために人とご飯を食べるんだろうか。それってちょっと面白いかもしれない。

昨日誕生日お祝いに出かけて、気づいたらまた朝だった。

私はどこにいるべきなのか。

行動はできる限り早く、早くするべきだ。

見つけたいし見つけて欲しい。そのための行動。

 

チームラボ豊洲に初めて行ったのだけれど、なるほどこう言うことだったのかという感じ。

お台場の方が大きいみたいなのでそのうち行ってみたいな。面白かったし、こういう経験をどう生かして行くかって常に考えてしまう。なんとかやりたいことに結び付けられないか、と。

そこにいるだけで想像力が刺激されるっていうよりは受け身でみんな眺めているように見えたけれどどうなのかな?

時間をかけたらインスタ映えする写真が撮れるんだろうなとは思った。

インスタは、あんまり好きじゃないなあと思っていたけれど最近ちょっと視点が変わって、最近GENICという雑誌を手に入れたのだけれどインスタグラマー?(インスタグラマーって何?)の人の写真と話がたくさん載っていて、面白かったしインスタグラムのために命を張って写真を撮ったり、水しぶき一滴のために何十回も取り直したり、ドローンを朝一で起きて誰もいない中飛ばしたり、そういう人がたくさんいるってことが面白かった。頑張って撮ってるっていうのがわかったから。でも、こういう人は写真で収入を得て食べているのかな?とアカウント見に行くとそうでもなさそう。

なんのためにみんなそこまで情熱を注げるのか、気になる。SNSは自分の名刺みたいな感じだろうか。

私もSNSを有効に活用したいと最近はすごく思ってきたので気になる。

 

全く意外だったのは、チームラボで足が綺麗になった事。足二回もふいたからね。みんなピカピカだよ。

 

私に必要なのはデジタルなのか、脱デジタルなのか、その辺が全くぶれている気がしている。ゆるゆるとした感情ばかりでこれだ!っていう衝撃がなかなか得られない。

 

不思議な世界だった

 

 

 

 

たまたま流れで人の恋バナを聞いていて、同年代の男の人だったのだけれど本人は色々傷ついて大変だったと言っていて本当にそうなんだろうなと思いながらも、感情がすごいあって生きているなあってちょっと羨ましく思えた。私が冷めているとしたら年齢のせいではないのかなあとも思えた。恋っていうのは本当に人にあり得ない行動力をかきたてるよね、そこがすごく興味はある。感情分析を勝手に学んでいるのでね。

友達もその気持ちわかるよって言っていて、今度は信頼できる人がいいって言っていたのだけれど、たとえ信頼できて自分を傷つけないと100パーセントわかっているとしても、その人といることが全くもって「普通」だったらやっぱりそれはダメじゃない?と考えてしまう。ドキドキしない恋なんてあるんだろうか。人って普通じゃないからこそ恋に惹かれるんじゃないのかと。思っている。

ちなみに結婚と恋は今現在は別物だと思っているけども。

 

 

もうすぐ大学またテスト時期だ。何にもしてない。何をしたら良いんだ?と今でも思っている。

edXでMITのずっと待っていた機械学習の講座が始まっていたらしく、だいぶ遅くなってやっと見たのだけれどめちゃくちゃ難しいかもしれない。でも世界中の人が参加しているのでちょっと頑張ってみたいところ。

 

 

 

正常な狂気

  • 2019.06.26 Wednesday
  • 10:42

youtubeを自動再生にしていて、だいたい気にならないんだけど凛として時雨で止まってしまった。

 

 

ものすごい訴えてくるものだから、他のことができない。そうだ、こういうエネルギーに惹かれていたんだ。そう考えると最近はどこにあるものもエネルギー不足というか、優等生すぎてつまらないんだなと思う。音楽聴いてても、先が読めるというか、全然知らない曲でも、次はこうなるだろうなーって思っているとだいたい展開が当てられるようになった。つまらなくて仕方なかった。

 

でもそれは世界の話だ。私と世界はまず、別ものなはずだ。

 

みんな私のこと否定してひどい。とか思ったりしていたけれど、本当は何よりも自分が一番自分を否定しているのではないかと思い始めている。

 

昨日、たまたま参加したワークショップみたいなもので、色々話ができてそれを感じた。これは本当に不思議な流れだなと思うのだけど、机ごとに対話をしましょうとなって、最初に同じ机に座っていた人が他の机に配置され、私は前の参加者で手伝いに来ている人と話す流れになったのだけど、それが不思議の始まりで。知らない人に自己紹介で自分のことをどこまで話すか、必要なことは何かが私にはまだ掴めていなくて、もし普通を求められたら病気のことも仕事のことも隠さなければと思っていた。だから紙に書いていく事が極端に少なかった。でも、自己紹介を先にしてもらってその人が型にはまりすぎていない自然な感じで、いっぱいいっぱいになりながら話してくれて、好きなように話せばいいんだなって重荷が取れたし、何よりその人の話している事がすっごく自分に近くてびっくりしてしまった。親との関係がずーっとうまく行ってなくて色々あって、とか表現で誰かに何かしていきたいとか。あれ、私がダメだってどこかで思っていることを頑張ろうとしている人がいる。でもこの人は頑張ろうとしている。じゃあなんで私はダメなんだ?ときくのに集中しながらも自分の中で思っていたと思う。

 

その後自分の方もあったことをそのまま話して思っていることもそのまま話して、残っているのは「人を元気にしたいっていう人は自分が元気じゃないとだめ」っていう当たり前のことと「自分を認めたり褒めたりが全くできないんじゃないか」と言われたこと。自分で自分をずっと痛めつけてきたことに気づいた。例えば、誰かに傷つくようなことを言われた、だから私はそうなんだ、ダメなんだ。と思っていたら自分の味方なんて誰もいない。それでも私は私だよと、自分に言ってあげられなければ私が崩壊するのも当たり前だ。ここ最近の私は自分の中にいる中心の自分?みたいなものを見て見ぬ振りをしていたというか、餌も何も与えず早く死んでくれたら生きやすいよって思っていた気がする。母親が私にしてきた態度を私自身に返しているような。

結局、完全に世界に同化するってことで、自分をなくせば生きやすいって思っていた。やっぱり自分は人が納得するような何かを持っていない気がしたから、捨ててしまえば楽になれると思っていた。私は世界にいなくてはいけないみたいで、でも攻撃を受けたくない、だからもう主張するのはやめて。そんな感じ。でもやっぱり迷いがあって、その葛藤をずっと続けていたんじゃないか。心の中で私が一生懸命叫んでいるのに蓋をしてまで生きていく価値はあるのか。肉体が消滅しないならせめて心を守るしかなくて、それしか方法がないと思い込んでいた。でも多分、その方向ではダメなんだ。

だからずっとずっと進む方向さえわからない。

 

自分の本当に心から望むことを、いきなり社会と結び付けないほうがいいと言ってもらえた。そんな考え方でもいいのか、となれた。何をするにも「お金になるの?」そればかりの意見を押し付けられてきた気がして、なんとかお金に変えなくてはとそればっかりだった。だからどんどん歪んでしまったんだろう。本当にやりたいことをちゃんとやれていけたら、そこにどんどん色んな事が付いてくる、常に不安と共に何かをしても、誰も納得できるものにはならない。だから自分の心を大切にするってすごく大事だって思った。

なんでかわからないけれど、そんなことを考えている時でも否定的な声がどっからかする。

何を甘えたこと言っているんだ

いい加減大人になってちゃんとしろ

とかさ。でもそれって私がまず作り出したよくわからないものの攻撃で(ネットの影響は大きいと思う)、さらにもし誰かにそれを言われてもいいようにって自己防衛をしているような。もうそういうのはやめようよって感じる。だって、結局攻撃したところで私は死なないし、私は私なりの見方で世界を捉えようとしているのだから、誰にも理解できなくて当たり前だし、否定なんてできるものじゃない。自分で自分を信じたらすごく心強いのかもしれない。もし否定したり攻撃してくる人がいても、それで決断を変えても私の人生に責任を取れるわけでもなんでもない。本当に、何の影響もないんだ。

ここで誰かのために自分を殺して否定されない道を選んでも、何にもないということ。自分が望んでいないのなら、やめるべきということ。

 

結構知りたいことをとことん知りたいという気持ちがあって、あと情弱だと騙されてしまうという恐怖があるから本当のことが知りたいとついついネットで深いところまで探っていくと大抵否定的な言葉のあふれているところにたどり着く事が多い。もちろんそれがどこの誰が書いたものなのかなんて知らない。なのにそれにいちいち左右されている、私に全く関係ない事なのに。本当のことってどこにあるのか。私は今それが一番知りたい。

 

 

 

旅のおわり世界のはじまり

  • 2019.06.25 Tuesday
  • 00:36

映画「旅のおわり世界のはじまり」を見てきた。

まあまあ人がいた。最近映画館、まあまあ人がいるイメージ。ちょっと嬉しい。

旅している気分にちょっとなれた。ストーリーは??って感じもあったけれど、途中寝そうになったけれど、よかった。前田敦子の存在感がなんともよかったんだよ。

ただ、あまりに席付近が香水くさくて、(前のおじさんと予測)呼吸困難になるーというくらいで、自分の上着で鼻を隠しても全然ダメなくらいで集中できなかった部分はある。なんで映画館にここまでの臭いをつけてくるんだろう?っていう気持ちがどんどん頭の中を占拠してきて、しかもなんでこんなにおいを開発したんだ、メーカーはという気持ちにまでなった。なんでなんでなんで?っていうね。

話は前田敦子が演じている葉子っていう人物が、海外で過酷なレポーターをしているんだけど本当は歌手になりたかったんだとわかったところで、でも歌い方を忘れてしまった。みたいに言っていて、それは気持ちの問題なんだけど。最終的に歌っていたから、取り戻したってことなのかなあ。

私は、一応去年から今年にかけてちょっと作っていた曲を聞いてみて、ある程度は作れるんだけど歌が全くできないなって改めて気づいた。本当に、どうやって歌うのか、どんな気持ちでっていうのがわからないというか、何を歌いたいのかも、霧の中なまま。

自分の心を動かすことができなければ、未来はない。だからとにかく外に出て行こうと今は思っている。なるべくいろんな人に会っていろんな気持ちを経験していくことが、大切なんじゃないかと。

その上で、できることを形にして出していく。それを見つけてくれた人と、少しずつ膨らましていけたらいいのかなあ。

 

映画館出た時鼻がおかしくなりすぎて全てに敏感になっていて吐きそうだったのだけれど、ジムで動いたら治った。やっぱり今の私の体はなぜか動くことを望んでいる。数日動かないでいたら、体調悪いよーって訴えかけてくるもん。変なんだな。

 

そして大学の時の友達に時間空いたけれどまた会えた。そういう今までできなかったことも大切にしていこうと思った。目の前にある全部のことを大切にしてけば、きっと進む道もできてくる。

 

一応不動産に内見をお願いした物件があって、どうなるかはまだわからないけれど少し進めた気持ち。

でも、私は本当に親を捨てていいのか?とまた自分の中で葛藤が出てきて。でもここ数ヶ月でどう頑張っても共には生きられないってわかったわけで。親にそんなすごいこと望んでないんだけど、ただ両親に「楽しそうに生きて欲しい」って思っている所はあって。親に、ちょっとでも生きるっていいなって思わせて欲しかった。でもそれって押し付けかもしれない。親の不幸を私まで背負う必要はない。でもやっぱり「生きていることは楽しくもない、辛いことだ。あんたも苦しめ」なんてのを毎日くらうと、私も同じだと思ってしまうし、なんとかそれを自分の力で変えられないかと思っていたけれど、無理っぽい。だから諦めるしかないんだよね。

わかっているんだけど。自分の力を過信していたってことだろうか。無力感はある。

 

あと、緩そうなシェアハウスの返事が数日経ってきて、今は一杯になりましたってあった。でも次空いた時のために見学も可能ですって来てたから、やっぱりなんとかなるものなのかもしれない。

ちなみに一軒の不動産からは見事になんの返信もない。ホームページはかなり色々載っていたのだけれど、建物名が頑なに書いてなくて怪しい・・・と思っていた所だったからやっぱりそういうの、あるんだろうねえと感じた。

 

 

 

 

 

 

安楽

  • 2019.06.23 Sunday
  • 10:47

ちょっと元気が無くなってきてしまった。何故なら行くところが決まらない。

やっぱり何かをしようと思うと絶対にどこにも受け入れられなくて、諦めるパターンが出来上がっている。動かない方がましなんじゃないの?と。

5年前くらいに見学に行ったシェアハウスも、最終手段はそこだ、と思ったがその時は言われなかったが今聞くと仕事をしていないとダメらしい。同じ運営会社で、前払いでいけたよって人もいたしなんだったのだろう?と考えると、保証会社が変わったか、人によって分けているか・・・?でも会ってもいないのに排除とかどうやってするのかと考えると、システム自体が変わったと思う方が妥当。それなのに私だから拒絶されてるとか思ってしまうのは良くない。実際はわからないんだけど。保証会社もどこなのか調べても全く出て来なかった。というかグーグルってやっぱり最近情報を操作していて、見せたくないものは見せないの?と感じてしまう。だって大手なのに検索結果10件とか、そんな少ないわけないし・・・とか。例えば知り合いに内定書を書いてもらうくらいはできるんだと思う。でも、結局そこに行ってないことはシェアハウスだからすぐーにばれるし意味はないね。要は、住み心地がいいと言いながらもほとんど家にいるみたいな人は嫌なのかもしれない。毎日通勤通学ちゃんとしてシェアハウスにこもらない人がいいのかもしれない。変なの。ただ寝に帰るだけなら、全然やっすいところでいいよ。

というか、それでも日光に当たらないと鬱になるから日当たりも見ないといけないとか、周りがうるさいと脳内で何かが発動するから壁の厚さをみてとか、本当に自分がHSPだからダメなんじゃんとか思うと腹がたつ。

 

現状を一番普通っぽく説明すると、とりあえず病気療養中にして、病気の元が実家だから実家を離れないと療養できない。数ヶ月でも病源から離れて普通の人たち(死にたくない人たち)と暮らすことをやりたい。で、そこの人たちがイキイキして見えれば私は生きることを積極的にし始めるだろうし、働き出すだろう。って、そんなの受け入れてもらえると思えない。前金で3ヶ月くらいとりあえず借りて、もしそこで生きることがやっぱり絶望だったら引き払うだけだし、生きたいと思って働いていけたらよくない?って思うけども。病気の人は入ってくんなって感じだろう。他人に死にたいですなんて一言も発しない自信もあるんだけどねえ。

 

でも、病気じゃないけど通信大学生で人生勉強中です。と言っても結局はダメなんだよ。

 

だったら、親名義でも一人暮らしの場所借りるという選択しかない。連絡は一切とらないことにして。

せめてそれができるうちに。それもできなくなったら本当に親か自分が死ぬことを待つだけになってしまう。

でも気にするなといくら思ってもわかっていても、もうどこに行っても「君はダメ」と言われるだけなんじゃないのってなる、親もたいして力無いから「君の親もダメ」と言われたらもう100パーセント無理だしそんな世の中ならやっぱり生きてなくていいやってなってきちゃうのがさ、日々あってさ、生まれてからずっと、無条件にこの世界にいてもいいんだと思ったことのない人は、やっぱりダメかあ。って思うだけで、最終的にこうなる運命なのかなとか思ってしまう。

とりあえずもう病源に侵されすぎていて、未来なんてさらに見えていない状態だ。

 

毒親治療はまず毒親から離れること!もし病気にすでになっていたら親に全部出させてでも出ること!とにかくどんな手段を使ってでも出ること!とまで書いてあったけれど、その具体的な方法はなかった。別に治療所があるわけでもないし。

状況がわかっていても、早く家が見つかるといいですねとしかいえないのが医者。原因がわかっていても取り除けないっていうのは、どうするべきなのか。

毒親相手に高額商売って微妙なの?と思ったりしてしまう。

結局大金払って、娘息子を更生プログラム?社会復帰プログラム?に入れて、ろくでもないところだったから訴訟になったり詐欺だと言われたりするわけで、ちゃんとプログラムすればいいんじゃないの?って思うんだけど。成果が難しいのか。私がそこに行って欲しいものは「生きていようと思える気持ち」だし、他の人たちの気持ちまではわからない。多分毒親からしたら、「就職までさせます、もう親御さんに心配はかけません。」と言われたら、お金払うからもう私たちの手を煩わせないでね、だろうし。できなかったら、と考えるとビジネスは難しそう。

 

高橋先生の本に出てくる人たちは、割と病気にはなっていない人が多かったからか、一応ちゃんと商社には勤めて毎日働いているのだけれど、自分がいない。とか、考えてることはすっごく似ているのに、なぜかその人たちは家庭を手にしていたり、みんなと同じように見える生活をしていた。自分が普通じゃないということに気づいて生きにくさの限界に達したのが、もうだいぶ大人になってからということらしかった。

だからいくら比べても違うんだなあと思ってきた。

 

 

何もしてなくても生きていいていいんだよなんてのはありえないと思う。それは私だけじゃなくて。みんな。

生かされるっていうことほど苦痛もないと思うし。

死ぬ権利っていうのはなんでこんなにも遠ざけられているのか不思議でならないよ。他人を殺すのはダメだけど、なんで自分自身もダメなのか。わからない。もう人生で笑えなくなった人に、せめて最後に笑いながら死なせてあげようっていう安楽死的な制度は、救われる人もいそうなのに。もちろん押し付けられちゃう人がいる危険性ってのはあるけども。例えば、電車に飛び込んだらめっちゃ迷惑かかるわけだし。そんなのよりよっぽどよくないか?と思ってしまう。

 

 

とりあえず、一回落ち着こう。

 

 

 

 

 

 

 

るろうに??

  • 2019.06.22 Saturday
  • 23:33

家が。全然ない。シェアハウスの返事はやっぱり来ないので諦めた。

それで、東京は高いし人が異常発生だしって普段から嫌がってるくらいだから東京にいなくてもいいなあとなってきて、神戸に音楽好きの人たちの集まるものを見つけたのだけれど現在は満室だった。

防音マンションにしても、空きが出たらすぐに埋まってしまうくらい人気みたいだ。音楽をやりたい人がたくさんいるのか、騒音に悩まされている人がいるのかはわからないけれど。なかなか借りられそうにない。

どこに行ったら、いいんだろう。と途方に暮れてきた。

また私は結局現実を変えられなかった、となるんだろうか。

嫌だ!

配信で人探しをするなら、防音のところで配信環境を整えるべきだろうとは思う。

というかシェアハウスだったら先払いで貸して暮れてもいいのになあ。短期間でいいから。前はそれができたみたいなのに。

 

 

演奏するプログラミング、ライブコーディングの思想と実践」という本を手に入れたので実践してみた。

sonic piというソフトでプログラミングしながら音を出していくのだけれど、新鮮な感じがした。まだイメージつかめるほどできてはいないけれど。もしかしたらこの先使えるかもしれない、まだ未知の世界。

 

一応、TEDにあったので今日のTEDということで

あんまり魅力が伝わって来ないんだけど、雰囲気はわかる。

自分でプログラミングしながら作り出していく音楽っていうのがいい。

 

 

脳みその整理

  • 2019.06.21 Friday
  • 21:09
体験の時から知ってる唯一のジムのインストラクターさんに、もう長いからちょっとくらい休んだとしても体力ついてるから大丈夫だと思いますよみたいな話をされた。
新しいプログラムはそこまで早いペースで出ないし、同じプログラムを繰り返す事に飽きてきている部分はあって、この先どうしようかなと思う日が増えてきた。受ける回数も減ってきている。
ちなみに私は今のジムに入ってからの体力の変化はまるでないと思っている。なんで行っているのか、どう伝えたらわかりやすいか考えて、「体力より、脳みそが忙しいのでここに来ると休ませられていいです。」と浮かんだけどきっとこんなこと口にしたらヤバイ人になるかもと思ってやめた。

とりあえずいつでも出れる、でもきちんとはしてそうなシェアハウスを見つけたのでどうやって借りれるの?と、見つけたメールボックスから送信してみたけれど返信はない。入居審査ちゃんとしていら所はさすがすぐ返信がくる。ちゃんとした人を求めてない=いい加減。そういうことか。


買った電車の回数券も一週間も持たないくらいアクティブに動いていたのでさすがにもうヘトヘトな感じがある。

まだ何にも楽にはなってない。 今すべきことは、
家探しを諦めない。
バンドのことを先延ばしにしないように。
だ。

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