眠れない時
- 2018.06.29 Friday
- 01:54
やっぱりスマホ置くと眠れない率高い
心の余裕もなく動いていた時は眠れないなんてことはなかった
だから眠れないのは人間ぽくていいなと少し思う
人間てやっぱりすごく強い生き物だなと感じる
だって、だいたいの人たちはすごく辛いことがあっても日常生活に戻っていく
みんなどうやって処理して進んでいるんだろう
あと思うのが、大人って本当にめんどくさい生き物だけど、全面的に人を信じるということが出来なくなったら終わりだなと感じる
sora tob sakana というアイドルが気になっている
正確にはその音楽が気になっている
ハイスイノナサの照井と言う人が曲を作っていると言う、なんかよい
バンドバージョンのライブがあったら行ってみたいと思っていて、丁度あった
ドラムはaquariaで叩いていた人らしい、あとはハイスイノナサ率高い
ハイスイノナサは、そんなに惹かれないのはちょっと暗すぎるからなのか、アイドルに興味があるとかじゃないけどどんな空間を作りあげるのかがすごくきになる
そしてどんな人たちが見にくるのか
今度の日曜日。東京国際フォーラム。
チケットまだ取れたので行くしかない!と取ってみた
昼と夜の二回公演で、面白いなあと思ったけど、ってことはホールレンタルは1日ですむのかな?とか考えるようになってしまった
リハがあるからよく分からないけど
そんでレンタル料を調べてみたら一日130万円くらいだった
キャパは1500くらい
普通のチケットが4500円だからパンパンに入って675万円
もっと高いチケットもあるらしい。アイドルだからね
その場合どれくらいの利益になるんだろうか
かかるお金は
アイドルの出演料、バンドの出演料、それまでのリハ代、スタッフのお給料、事務所、広告費、チケット会社への委託料?
主催、計画、制作はポニーキャニオン/ジーズーとなっている
うーん、一体どれくらいの人が関わっているんだろう
さらに面白いと思ったのはホームページにグッズが出ていたのだけどアイドルっぽくない
顔写真とか、キャラクター的なものは一個もなかった
ますます気になる
さらに思い出したのが、チケット取ってライブ行くまでって気持ちがそれまでと違うって言うこと
前は行きたいライブのチケット取れたらこのライブ行くんだから、絶対それまで生きてようとか思ってた
そこまで思わないにしても、やっぱドキドキする
ライブは、お客さんがチケット手にした時から始まってるのかもしれないなあ
ライブの効果。延命
だとしたらなんてすごいことだ
とりあえず楽しみ
なんか自分の家でお風呂入っていて急にむかついてきて、なんで実家のお風呂治したのに、お金だって少し出したのに入れないんだろう
ってなって、母親が治ってなかったらまた入院させるって言ってたのに結局野放しだし、でもそれを言うなら全く治ってないのに病院から追い出す医者がもっと意味わからんわってなった
入院なんて相当お金かかっているのに戻ってきて一ミリも変わっていませんでした、って普通通用しないでしょ、精神科ってなんでもありなのかよとイライラしてしまった
そんで父親に話が違うからお金も返してくれ、もうめんどくさいから母親としぬことにするそれが一番いいと思うとか言ってしまった
考えるだけでかなり嫌な気持ちにしかならなくて、負への引きずり方がはんぱない
あの母親は悪魔なんだろうか
頭の中にないときは、そんな負の気持ちわいてこないのに、最近
押し売りがすごいメルマガの人がいて、若干引いている
なんで登録しちゃったんだろうと後悔しつつ、一応、売り方のちゃんとした手順を踏みながらやっているにもかかわらずどうしてこんなに下手なんだろうと感心してしまう
売るための嘘と言うか、誇張は必要なんだろうけど、明らかに嘘っておもうと、もう信用さえなくなるものだね
そんで、私は自分たちに何を提供できるのかと考えたときになんで人が音楽を聴くのか、その目的と効果を調べようと思っているところ
あと、ライブに行く目的とかその効果とかも知りたい
来月になったら面白いテレビやるらしいよ、脳科学的なことを言ってくれるのではないかと期待
ぶっちゃけ旅行に行くと全てストップしてしまったから、今は知識を入れることに集中した方がいいとも思う
海外の人にむけてもいろいろ作りたいしコミュニケーション取りたいから、英語をもっと理解したい
セブのスパルタ校に一週間でも入るかちょっと迷う
でももう夏休みだから高いかな
お金の作り方も早急に確保しないとやばい
帰ってきてしまった
金沢駅から三時間かけて新幹線に乗って、ゴミゴミして汚い空気の東京駅のホームに降りてまずそう思った
それと同時に、私はここでずっと死ぬまで生きていくんだなと急に悟って涙が出そうになった
悲しいからではなくて、気づいてしまったから
東京で生きていく覚悟が足りないんだろうか
夢を諦めたりうまくいかなくて色んな知り合いが東京を去っていったけれど私には帰る田舎もない
東京が嫌いだ
でもきっと田舎でも生きられないのだろう
田舎に生まれていたらどうなっていたのかも想像できない
もしかしたら楽しく普通の人生をやれていたかもしれない
出れないからこそ嫌い
離れたら離れたで恋しくてたまらなくなるやつだ
ホームを移動するその間だけで、見たこともない美味しそうな食べ物が目に入ってきて、東京には何でもあるなあと改めて思ったらまた視界がぼやけた
何でもあるし、何にでもなれる所が東京
それなのに私はそのなかで何も手にせず何にもなれずいる
正確には、そんなこともないのだろうけど、目指していたものからは程遠すぎる現状
そもそも何を目指していたのかもどんどん曖昧になっていくばかり
可能性というキラキラしたものが至るところに落ちているのに拾うことが未だに上手く出来ず、沢山の欲望に覆われて息も上手く出来ず
それでも東京で生きるという覚悟を持たなければいけない
この旅で学んだことは、これなのかもしれない
永平寺に行ってきた
はるばる新幹線で初福井へ
参禅というものが有名らしく、3泊4日らしいのだが1泊2日もあると聞いてビビリなのでそっちで様子見をして、よかったら3泊でいけばいいという感じでいた
結果。1泊にしておいて本当に良かった
検索して出てくる参加してきたという人たちは、だいたい3泊なんだけどみんな100パーセント行ってよかったと言っていたんだよ
そもそも私は無宗教だしね、最近読んだ哲学の本で色々考えされて、やっぱ神はいないよってなってたからしんどかった
座禅は興味があって、何も考えないようにっていうのは、マインドフルネスやりたくて挑戦してもよくわからなかったから出来るようになったら世界が広がると思ったんだけど
まあ、30〜40分を4回やたところで習得できるはずもなく、それは甘かったなと
だけど座禅ができるようになることと私の思う頭空っぽな状態がイコールじゃないような気は少しした
そもそも足が硬いからなのか、上手い組み方もできなかった
座禅は、まあ何かを信じなくても自分のためと思えばできる
でも、私は食事がきつかった
食事も修行のうち、と言われて私語は禁止でそれはいいんだけど何せ食べるスピードが周りに追いつかないから焦る
みんなとペースを合わせることも修行、早い人も遅い人も同じになるように心がけててと言われ
しかも当たり前だけど残してはいけませんと
そうなると、みんな食べ終わったからもういいや残ってる分置いてごちそうさましちゃおう、という訳にもいかない
必死で口に入れた
なんの味も感じないくらい、こんなに必死に早食いしたことは人生でなかったかもというくらい口に詰め込んでよく噛まないうちから飲み込んでって感じ
何で私のご飯半分くらいにしといてくれなかったの、おかずの数ももはや人より少なくてよかったよとか思いながら
夕食で疲れ切ったから、朝食めっちゃこわかったしめっちゃ緊張して出向いた
なんとかなってよかった
あと、このご飯を食べるだけの行いをしたのか考えて食べなさいというのもきつかった
そこまで考えると、食べちゃいけない気になっちゃうもん
元々、根本的に自分に価値を感じていないような人、負の性格の人は、その考えは危険だと思う
笑いながら美味しさを分かち合いながらじゃないと命のありがたみに結びつかない人もいるはずだ
私みたいに
修行僧の人たちの話はもっと凄まじくて、毎日毎日すごいなって感じで
でもそれって心が健全な上に自分たちの神さまを信じられるからそこまで出来るんだろうなあとなった
私はもはやご飯の段階でこれは何の罪を犯したらこうなるのか、許される理由も全くわからなかった
全く
神の話に戻ると、神の存在を信じるってことは神がいたらもっと良い世界だったはずだと思うか、神がいなかったらもっと最悪な人生だったと思うかしかない
いっぱい出てくるなんとか様、は神ってことだよね?
みんな絶対的に信じているんだよね?
って思えば思うほどその場にいてはいけない気がして軽くめまいがした
朝のおつとめというものの時、供養をしていて、泣いている人が何人か見えて、みんな辛いんだって思ったらもう辛すぎるって思った
死ぬっていうことよりも生き残る事が罪なのかもと思った
だって残された人はみんな悲しい思いばかりで
だから生きるか死ぬかなら死ぬ方が楽だとやっぱり思ってしまったよ、死んでどうなるか知らないけど
死ぬ人たちは思い出だけおいていなくなっちゃうんだからさ
ある地点から心が限界に無理になってある意味無になれた
ああいう行いにわたしには救いが見えなかった
悲しい事を思い出すのはうんざりで、意地でも避けたかった
祈ることで救われるなんて思えない冷めた自分がぞっとした
完全に向き不向きもあるのだろうけど、本当に笑えない修行だったし私は変わっているからかあんまりためになった感じは正直なかった
お坊さんて精神的なところから生と死をつなぐ仕事なのだとしたらよっぽど強くないと大変なことになりそうだなあと思った
修行に参加させてもらえるなんて、本当にめちゃくちゃ貴重な体験できたのに私なばかりに申し訳無かった(一泊で一万円払ったけど)
電話の申し込みの時点で、そんな簡単に受け付けてもらえず試されているらしく、確かに日程考えるとそうだったと思ったけど心の強さというか、病的な考え方の人は危険ですと伝えるとか、そんなのはできないか
というかそこまでしたら今度誰も来なくなってそれはそれで経営が困るのだろうか
来年には新しい宿泊施設完成って書いてあったから泊まりに行く人が増えるはず
永平寺ってグーグルになんとなく入れてみたら
永平寺 いじめって言う候補が出てきて、見てないけど闇が深そうだなーと感じた
「修行なので」ですむならなにしてもいいっていうのは変だなと、関わりのない人から見たら思えた世界だった
お寺もお金が足りないと困ると言っていたし、信じる人を増やさないと存続できないのかもと考えると、洗脳の力の話になってくる
あれ、また洗脳の話に戻ったや
宗教を一番最初に作った人たちは、どこまでを想定していたのかなあ、時を経て思うようになったのかなと知りたいけど、まあ無理な話だ
なんだか、東口に出たら駅が新しくなったとかで着ぐるみに人が群がっていて、西口に出たらメロン祭りというものをやっていて人が歌ったりやっぱり着ぐるみが出てきて人が群がっていた
福井駅思い出すとしたら着ぐるみになりそうだ
昨日来ても明日来てもそうはならなかったのかと思うとタイミングって面白い
通る人たちを観察していると、 まるで映画のワンシーンのようだ、と思った
平和すぎて
このあと惑星とかが落ちたりするやつ
人はそれなりにいるけど、東京はやっぱり異常だって思った
もしかして東京嫌いなのかしら
明日から寺に行くので準備をしているけれど荷物がちっともコンパクト化しなくて困った
寺は一泊なのだけど、せっかく遠くに行くのだからほかのところに寄って行こうとも思って、そうしたらデジカメだとかipadだとかも必要で、スーツケースはまずいと思いつつ、リュックもパンパン
まず寺は何もないっぽいからタオルとか持ってきてとあったし、そういう洗面道具とかも入れなくてはだし、荷物の多さにちょっとげんなりしてきたくらい
手提げ袋もって、リュックもっていくのが妥当かーと言う感じだけど買い忘れたものとかまだあったり
朝早いのに大丈夫かなーと緊張状態
今日知らなくていいこともあるよねって話しをしていて、本当にそうだよなあ、その方が幸せな事ってたくさんあるよってなった
その場にいたのは4人だけど、4人それぞれで、違う考えをしながらそういう話をしていた、多分。
私がオタクの人からお金を巻き上げるには、とか洗脳ってどうやったらできるのかとかすごい口に出していたみたいで、久しぶりにあった人にはこわいーって言われた
確かに言葉的にこわいけど、オタクの人たちをターゲットにしたものを考えるとしたらオタクの人たちにお金を使ってもらわなきゃいけないわけで、なおかつ洗脳ってものを買ったりサービスを受けたりするとき絶対に受けていて、そういうことを言ったんだけどな
オタクって言ってたのはたまたまその前に他の話をしていた流れなだけだけど
デジタル依存だって、インターネットに楽しいコンテンツを詰め込んでデジタル機器から離れなくさせようと、誰かがしているから起きることで、そういう風に考えだすと本当に全部こわい
とりあえず早く寝なきゃいけないのにこんなことしてて準備も進まず
寝れるかな
誰が信じられるとか、誰が信じられないとかそういうのはよくある
そういう時はやっぱり言葉じゃなくて行動を見たらいいんだって思っていたのを忘れていた
してもらったことは私の中にずっと残るから
いい思い出として残っているからいいんだ
その行動は、確実にあったんだし、嘘じゃなかったもん
私が経験したんだもん
もう接点がない人も、それはそういう運命なだけだ
疑いだとかそんなのより嬉しい気持ちの方を残していきたい
突然。
奈良ドリームランド
奈良にあるらしい、もちろん行ったこともなく、2006年に閉園しているのでもう行けないけれど
廃墟として話題になったらしく
ここの廃墟写真を撮っている人のブログを見たら、すごく綺麗だったので、ここが流行っていた時どんなだったんだろうなと興味が湧いて探してみた
廃墟の写真の方がたくさん出回っている感じで、でも開演が1961年だったらしいのでその当時はもちろんデジカメもスマホもないから写真を撮りまくるひともそんなにいなかったんだろうなあと
すごい映像があった
これ見てると泣けちゃうんだけど
この時小さかった人たちはもうきっと、おじいちゃんやおばあちゃんになっていて
大人だった人たちは、どれくらい生きているのかな
みんなが大切な人たちとの思い出をここで作っていて
家族だったり、恋人だったり、憧れの人かもしれないし
どれだけ本当に夢が詰まっていたんだろうなあと思ったらなんか変な気持ちになった
この後、東京ディズニーランドができて、USJができて
世界もどんどん変わって
ただの比較で言ったらやっぱりレトロだとか、しょぼい感じになるんだろうけどこんな夢の詰まったところが閉園して、廃墟になるなんて開園した時は誰も想像しなかっただろうと思うと悲しい
時間が流れるって言うことは、そういうことなんだって思う
そして今はもう廃墟もなくなって、きっとこの先違う建物が建っていくという、未来に向かっていることなのに悲しいのが不思議だ
でも、そう考えるとディズニーランドってずっと変わらずキラキラしているし、人もいっぱいいるイメージで
幼稚園の時とかすごい連れて行ってもらった記憶があって
そういうの思い出すとそれもなんか気持ちが落ち着かなくなる
昔は本当に、あの中に別の国があると思っていたもんなあ
ドリームランドでの思い出が、生きていくうえでずっと大事だった人もいるかもしれない
遊園地ってすごいなって思う
わかっているのは、私は遊園地は作れない、でもこういう人の心に残るものってやっぱり惹かれるよ
作ろうと思って、それを実行した人はすごいよ