カウンセリングに電話をしてみる。
話を聞いてみると、どうやら初回の面接をしてみて違うなと思ったら断られることもあるらしい。
「お役に立てないと感じた場合」と言っていた気がする。
初回は60分で二万円。
それで結局ここでは見られませんと言われたらもうどこからも見放された気分になるんじゃないか。という怖い気持ちもありつつ。今はほかに手段がないのでお願いすることとにした。
それにしても、みる方の立場って選べる上にお金ももらえるのか。知識があるってそういうことなのか。と感じた。
でも
「10回通ってください、必ず直します。そのかわり100万円を前払いしてください。」
とかいうところだったらどうなのか。
必ずなんてきっとありえない。
前に読んだ、「自己啓発をやめて哲学をはじめよう」酒井穣 の中で
多くの自己啓発が、溺れる者に藁を売る商売になっていると書いてあった。
FUDというマーケティングの手法があって、これは
Fear 不安
Uncertainty 不確かさ
Deubt 疑念
の頭文字をとっているらしくて、この手法に引っかかりやすい人というのがいるらしい。
自分はそのタイプだから気をつけたいとは思う。
まあでも自己啓発全部が悪いということじゃなくて、実態のないものにのめり込んで現実を手放すっていうことはだめなのかなとか。
何が信じられるか見極めていくのも結局自分だから、やっぱり自分の知識だとか信じられる人を自ら増やしていくしかもはやないような、気がしている。
自分の目で見たり、自分で確かめたことを信じるようにはしたい。
だからこの先人との交流もできるだけ直でやりたいという気持ちは、きっとある。
心に抱えたものは、目にも見えないし繊細すぎる問題で、
結局どうなることが目的なのか。何がゴールなのか。
そうすると最終的には仲間探し頑張ったほうがいいんじゃないって思ったりするけれど。
自分に何ができるのか。
自分に自信をつけることをゴールとするなら、やっぱり結果を何かで出していくしかないような気はする。
言葉が当てにならないというのなら、自分だって行動するしかない。
それが自分のためになるわけで。
話変わって
映画「ライオンキング」を見たのだけれど、見た後になんとも言えない不安な気持ちになってしまった。
エンドロールの間ずっとやばい・・・という気持ちに支配されていた。
別に残虐な映画じゃなかったと思うんだけど、そういうのを見た後みたいな気持ちになってしまった。
すぐに立ち直れたけれど。
(アイアムアヒーローや寄生獣からは、まだ立ち直っていない所ある、つらい)
生命の循環的なものを、自分がまだすんなり受け入れられないからだろうか。
お父さんがあんな風に死んじゃったら辛いよなあ、という気持ちというか。
CGっていうのが少しこわくなった。本物じゃないのに本物みたいに見えるって、ある意味恐怖というか。偽物と本物はわかる人でいたい気持ち。
じゃないと騙されるよって、また騙されるとかいうところに行き着く考えが嫌だけど。
ダークツーリズムまずは広島から初めてみることにした。
ただ、いろんなこと知りたいという気持ちだけに突き動かされている。
人間が生きていること、人間が死ぬこと
地球があること、宇宙があること
命とはなんなのか
あとタバコをこの世界からなくしたくなってきた
隣の人たちがタバコをベランダでしかも夜中に吸っているから、寝ている間に自分の部屋がタバコ臭くなるのがやっぱり辛い
部屋に空気がこもる感じがいやで寝るときくらい窓開けたいと涼しい時は開けるようにしてて
それでもタバコくささに気づいたら窓を閉めることにしていたけれど
昨日自然の流れだと思って受け入れよう、と窓を閉めないでいたらシーツがタバコ臭くなってそのあとかなり格闘した
どうせ隣の人たちは、誰かに被害を与えるとかそこまで考えずにベランダでタバコを吸っているだけなんだろうなと思うとどうしたらいいかわからない。
もはや、眠れなさすぎてライターをつけるカチッていう音で「きた」と思って臭いが来る前に窓を閉めるようになれたのが収穫か。
夜中の2時とかに吸いに出ないでよと思ってしまうけれど
ここに引っ越してきた私が悪いだけなんだろうと考えると、どこでなら生きられるんだ、という気持ちにはなる。
私が我慢すればいいだけだから、と思ってもどこかで我慢ができなくて余計調子崩す。
こういうマンションは結構辛いとよーくわかった。
同じ用に作った部屋が同じ向きにひたすら並んでるだけで、誰かに飼われている気分。
飼育するなら楽だろうな、こういう作り。なんてね。
よくわからない疲労感に苛まれているよ