親を子が訴えられる社会

  • 2021.01.19 Tuesday
  • 14:57

恨みとか憎しみに取り込まれてしまっている

新薬試す?って先生が聞くから一応貰ったけど

親と言うだけで何をしても許される社会ってやっぱりおかしいと思う

子が親がおかしいと思ったら訴えられる制度ができれば毒親がはばかる世界がマシになる気がするね

私なんて10代前半で違和感持ってたわけで

そこで親を捌けてたら

世界を味方につけられてたら

絶対違ったのに

自分が悪いと思う期間が長すぎてしまった

やっぱり取り戻せるのかは謎


忘れかけてたけど毒親ってのは絶対に自分のしたことに気付けない人種なんだった

だから100%和解はない

和解できたらそれは毒親ではないレベルだったって事

謝罪は求めても無駄だから求めないけど自分を肯定できないものかと思ってやっていたけど

完敗



これ以上ない苦痛を受けながら誰にも迷惑かけずひっそりと孤独に生き続ろと

反省できるまで絶対死ぬなと

母親に対して思うくらいしかできない

毒は抜けない

  • 2019.09.30 Monday
  • 00:38
実家に行く。
スマートウォッチのレシート探したが見つからず。
この先の相談をしていて、おかあさんがまたうだうだ言うので、お父さんと出会う前にあなたが死んでたら全員幸せだったねと伝える。
ほんとそうね、だって。
そうしたらわたしもこの世界に誕生しないですんだ。
お父さんはもっといい奥さんと幸せに暮らしてちゃんと子供を育てられたはず。
弟も同じなのか、生きててよかったと思ってるのかはわからないけれど。


お父さんかわいそうだなと思ってきて、悲しい気持ちがやまない。
なんの罪もないのに、妻選びを間違えた故に今。
まあ、離婚するすると言い続けてその勇気もなかったみたいだし、大人が自分で決めた道だから私がなにかを思うことが間違いか。
最近やっと優しくなったので今の人格のままでしばらくいてほしいと願うばかり。 また容赦なく当たられたらもうわたしは流石に生きていけないだろう。



この前、遠野なぎこという人のブログになんとなくいきついて、書いてること気になって、調べたら女優さんらしくて毒親系の本を書いてると知ったので読んだ。
私が抱く感情が異常だから誰にもわかってもらえないと思っていた、母親に対する感情が一緒だった
びっくりした。

この人は母親のやばさに早くに気づいて逃げてた。それでもずーっと引きずってるみたい。
今はもう何年も会ってないみたいだけど、消えないものらしい。



色々な人が今もどこかで戦ってると思うと私も戦わなきゃって少し思える。
そして戦うなら負けたくない。
自分の運命というやつに。

やっぱこの先、治療だとしても過去に突っ込むことはこわい。 でもやるしかない。のだろう。



わたしの中にまわりきった毒は一生抜けることはない。
その毒に対する耐性をつけて、他人とは違うもので出来てる事を認めることが、はじまりなのかもしれない。

毒親育ちからのびじねすまん

  • 2019.09.06 Friday
  • 09:32

なんとなく、気になったことがあってネットをしていたら毒親カウンセラーというジャンル?を発見した。

その人は毒親を自分で克服したという心理の専門家とは違うみたいだった。一応独学で心理を学んだとはあったけれど。(私が一番カウンセリング避けるタイプ)

ホームページはまとまっていた。

全部何かしらの本にかいてあったことで、知ってる内容だったけれど。

ビジネスマンとしてやるべきことはかなりやっている感じ。

無料メルマガからの高額なものへシフトしていく流れも作られている。

Youtube動画があったので見たら笑顔がすごい営業マン風。

動画でもちょいちょい、カウンセリング受けてくれたら、教えますよとかそういう流れを作っていた。

自己紹介で、私は自分が克服するまでに費やしたのは400万円以上。それは立派な自己投資です。

とあって、「あ・・・」となる。

なんでもすぐ自己投資って情報商材の人が言うやつ、のイメージが最近強い。

値段は全く書いていない。

お得さだけをアピールしてる。

メルマガ登録したら教えるよってこと?怪しい・・・としか思わない。

きっとある程度信用させてから値段を言って、その値段の正統さを主張するやつかな、ビジネスっていろんな手法があるんだなあと感心。

噂では半年で100万以上かかるとか言ってくるらしい。(それを値引きする形?)

お金がないと言うと、自分に価値を感じていないからお金が払えないんだろうみたいな感じで、自己投資は必要で、自分の価値を作るためにお金を払えと言う流れになるのかな。

まあふつうに1時間1万円の臨床心理士でも、週二回通って月8万円、年96万。5年で約500万。(!!!)

半年で済むなら心理分析よりいいのかもね、でも昔からの手法でもなんでもないし、「自分で編み出した手法」を使っている人はものすごいギャンブルというか。

お金をたくさん使って、結果が出なかったときの気持ちがすごいことになりそう。

その「手法」を憎むと言うよりその「人」を憎むしかなくなっちゃうような。

担当医がいる人は絶対に相談した方が良さそう。

 

でもでもでもでも。

半年で結果がでたらすごいよねえ。

 

 

 

私はなぜかお母さんにまた電話したい衝動を抑えている。

あれは母ではない、自分を破壊するモンスターだ。

人間じゃないからね。

と言い聞かせているんだけども。

好きな部分もあったわけでしょ、きっと。

だからそう思いたくないって自分と戦っている気がする。

 

 

 

旅にでて結局これは・・・出かけよう

闇の深さ

  • 2019.09.04 Wednesday
  • 23:50

日中に見たものに影響されてるわけじゃないと思うんだけど

なんだかただただいることが辛くなって

帰りたくなっている。

帰る場所なんてないくせに。

お母さんの中に戻りたい。

安らかにねむりたい。

 

 

そうやってしくしく泣くだけって

きもちわるい。じぶんが。

 

あ、でも自分のことは褒めてあげなきゃけなかった。

自分の味方は自分だ。

よく頑張って飛行機とかいろいろのってここまできた。えらい。がんばった。

色々あってもきれずにめげずになんとかなった。すごい。

 

 

むなしさよ。

自分の持つ闇の深さを改めて感じてびびっている。

 

やっぱり。精神分析に行きたいと、試しに親に言ってみようか。意味ないか。

 

 

心の底から世界と繋がれないように育ってしまった人たちって一定数いるはずなんだけど、最終的にどうしているのか気になる。

 

 

妄想の話

  • 2019.09.03 Tuesday
  • 01:19

私ってやっぱり考えすぎなんだろうか。

 

最近ピンポンがすごい鳴るし誰かわからないから全部シカトしていた。

とにかくこわいから。

用事があるならポストに入れるくらいまともな人以外は相手にしたくない。

 

 

でもこの前ふと画面を見たら警察みたいな服を着た人がいたからさすがに出てみた。

「警察です。ただの見回りなんですけど」

と言われて、めっちゃこわくなった。

まずこの時は

 

(この街だったりこのマンションが好きになれないから、やっぱり変なことが起こっている街だったからだ!警察が見回りに来なきゃいけないくらいやばい街だったんだ!どうしよう!(警察の見回りなんて人生で一回も受けたことなし))

 

という考えに支配された。

でも、さらに

「色々書いて欲しいから玄関まで行きたいんですけど」(オートロック)

と言われてパニックになる。

 

(警察官のコスプレをした人が私をいじめにきた!追い詰めにきた!)

 

と今度はなって、そうしたら画面が誤作動なのか切れてしまった。

もう一度ピンポンもならないし、どうしたら・・・と思って一応オートロックのところまで行ってみたら警官みたいな人がいた。

 

「わざわざ降りてきてもらってすみません」

 

と言って手帳らしきものを見せてくれるけれど、こんなの本物知らないし、偽物だってわからないじゃん!と内心で思う。

対応も丁寧だし、でも丁寧なほど怪しいからねと思いつつ。

これを書いてください、と渡されたからじゃあ書いておきます。と受け取ろうとしたら今書いてくださいと言われて

 

(これって詐欺師の手じゃん!冷静になる隙を与えずその場で何かさせようとするやつ!)

 

と思って、今じゃないとダメなんですか?と聞くとすぐなんでと言われ仕方なく個人情報を書く。

職業っていう欄があったから学生にしておいた。

そうしたら、教師?と言われて、なんで学生と書いてるのに教師なんだよそんなに稼ぎがきになるんか!と切れつつ、いや学生ですと答えて終わる。

いつでも相談に交番にきてくださいと言われる。

でもその時点で、もし教師だとか言ってたらきっと詐欺師にまあまあ金あるからって狙われてたな、よかった、学生だったら金ないから狙われないだろうとか思っていた。

 

 

誰をどう信用したらいいかまるでわからなくて、これは疑いすぎなんだろうか。

寝れなくてふと思い出したからメモ。

 

ちなみに誰にも追われてない。

だけど情弱でメンタルが弱いから散々騙されてきただけ。

 

思うんだけど

「他人は自分を攻撃するために存在している」

という考えが全然抜けてなくて

(やっぱり親が原因なんだろうけど)

そんな訳ないはずって頭でわかっているのにうまく作用しない。

認知行動療法でこういうのは取れないの?って思うけれど担当医も精神分析の人も君には認知行動療法は合わないだろうと言っていた。

担当医は、納得できなそうだからと言っていた気がする。

精神分析の人には、人生が空っぽすぎる人には向かないと言っていた気がする。

 

 

 

認知っていうもののふしぎ

  • 2019.08.30 Friday
  • 01:20

ジム終わった後に、

「頑張りましたね」

というインストラクターの人がいて、苦笑いしてしまう自分がいる。

 

何を頑張ったっていうんだね?

どの辺が?

適当なこと言わないでくれ。わたしは人に言えるほど頑張ってなんかいない。

だって結果が何も出てないから。(もはや人生の話)

そもそもジムなんていくら頑張ったってお金になってるわけでもないし、誰かに感謝されるようなわけでもない。

なんで褒めるんだ!そうやって嘘つくくらいなら何も言われない方がましだ!(文字にすると本当に馬鹿馬鹿しい思考だね)

 

みたいな感じでぐだぐだ「頑張ってない」と言える理由は出てくるんだなと気づく。

でも、じゃあ頑張ってないんだろうか?って思ったらすでにそこに参加するっていうことだけでも頑張ってるじゃん、なんだかんだもうやだと思いながらも逃げないで最後までいるじゃん、それだけでもいいんじゃないの?と思ったら世界がちょっと変わって見えた。

そうやって自分がやっていないことに目を向けて、自分を痛めつけてきたんだなって感じたらちょっと自分に対して悪いことしてきたなっていう気持ちにもなる。

素直に、声かけてもらえたら「わーい嬉しい」でいいじゃんって思いはじめる。

 

常にやっていない事、ダメな事に目を向ける人が近くにいてチクチク言われていたから(親)自分が出来ることなんてないって思うしかなかった。

わたしには価値がないって思うのは当たり前なくらいに世界に居場所はなかった。

価値があるならどっかに居場所があるはずだって思ってた。

ダメなサイクルに入り込んで、抜け出せなくてすごく辛かったんだった。

少しでも攻撃から身を守るためにどうでもいいことに固執して「わたしは頑張ってる」と主張して、でも頑張り方がずれているから誰もわかってくれなくて、通じない世界にいるから誰も認めてなんてくれなくて。

どうしてどうしてって思ってた。

逃れる盾もないままずっとずっと防御できず攻撃され続けて壊れたような気もする。

 

ライフがちょっとでもあるなら、ゲームオーバーにはならない。

どうせ死ぬなら生きてても意味ないって思ってたんだけど

どうせ死ぬなら何かしたいって思えて仕方ない、今日この頃

 

昨日ちょっとしたはずみで母親に電話してしまったのだけど、出なかった。

折り返しもなくて、ちょっとホッとしているような。なんとも言えない感じ。

 

 

 

テレビで繊細で困っている人の話をやっていてHSCの人が出てたんだけど(子供だからHSPではないらしい。ChildだからC)

おばあちゃん(普通というより鈍感系?)とわかり合いたいのにお互いの気持ちがわからないっていうのでお互い何を考えているのか、そういうのを交換して本音をぶつけ合っててなんかめっちゃ泣いた。

おばあちゃんは孫が大好きって伝えてて、だからこそ仲良くしたい、知りたいって言ってて、孫もおばあちゃん大好きだから負担をかけたくないって言ってて。

子供の人は本当に辛いのわかるけどこんだけ愛されてるなら平気だろうなと思えた、あったかかった。

投げ出さないおばあちゃんすごいと思った。

弟の子供も、可愛がってくれるおばあちゃんおじいちゃんがいないとしたら可愛そうだなってふと思った。

もう、関係がないのかもよくわからないんだけど。

わたしが会えることがこの先あるのかも謎だ。

家族っていうものがなんなのかいまだによくわからない。

あんまり考えるとかなしくなっちゃうから考えないようにしている(わたしはHSP)

でも何も出来ること、ないんだろうかってふとした時に思っちゃう。無力を感じる。

 

 

 

わたしはやっぱり病気を抱えている人と知り合うことが多いけど、そういう人って本当に優しいって感じる。

というか、皆、人に対して優しすぎる。

だからこそ苦しくなるんじゃないかと。

病気になるのは、「優しいだけではやっていけないよ」っていう神様からの試練なのかなとも思ってしまうよ。

切ない。

 

 

精神分析

  • 2019.08.24 Saturday
  • 00:01

先生に教えてもらったところの初回の面談をしてきた。

私が受けようとしているものは、カウンセリングではなくて精神分析というらしい。

フロイト。らしい。

すごく丁寧に説明してくれたし、ちょっと話しただけで私のやっと辿り着いた結論にさらっと到達してしまったので、すごいな・・・となった。

そして色々と、聞いたことを、受け入れるつもりだったのにいざとなるとすっごい悲しくなっている自分がいて。

 

お母さんも辛かったし苦しかったんだからという理由で私まで辛くて苦しくならなきゃいけないんだろうか。

私が全部を背負うことが、「仕方ない」とか「運命だから」とするならあまりに悲しい。

べつに誰かを責めても何にもならないのもわかっている。

 

結果として出てくるまで数年以上はかかるものだし、私の場合10年かかるかもしれないと言われた。

それでも、何もならないかもしれない。

そういうものらしい。

受けてみる価値はあると思うと言われ、たしかにもう他に何もないならどうしようもないとは思った。

 

今まで何年かかってこうなったのか考えれば、5年で回復するならそれは魔法だと思える。

けれど。

それはあまりにしんどい未来だ。

 

今せっかく穏やかになっていても、また悪くなる可能性もあると言われ(だからあまりに悪くなることがわかっている人は見ないということらしい)

経済的な問題ももちろんあるから、受ける気になったら半年以内に連絡して欲しいと言われた。

今更ちょっと焦ってもどうこうなる問題じゃないということらしい。

 

ぼーっとしていたらまた最寄駅にいなくて、どうしてこっちにきちゃったんだろう?となりながらだらだら歩いて帰宅する。

 

 

今日ふと思い出したのが、昔薬たくさん飲んで救急車乗った時に、お母さんにすっごい怒られたこと。

「保険効かないって言われちゃったよ、本当に困るからもうやめて。いくらかかると思ってんの!」

と言われたんだった。

その時は迎えにきてくれただけありがたい、困らせてすみませんって心から思っただけだったんだけど、

よく考えたら普通、どうしてそういうことするの?とかそういうことしたら悲しい、とかじゃないのかなあと

悲しいは悲しいでも、無駄なお金がたくさんかかって悲しいっていうのは。

なんでまだ生き残ってるんだろうってすでに思ってきた。

 

 

長い、長すぎるよ。

普通に考えても、寿命が長くなりすぎてるんだよ。

つかれた

 

ただ私的に、フロイトよりコフートのが好きだと、最近読んだ本で思ったんだよなあ。

だれの本だろか。

もう一度調べてみた方がよさそうだ。

適正価格ってなんだろなあ

  • 2019.08.21 Wednesday
  • 23:49

カウンセリングに電話をしてみる。

話を聞いてみると、どうやら初回の面接をしてみて違うなと思ったら断られることもあるらしい。

「お役に立てないと感じた場合」と言っていた気がする。

初回は60分で二万円。

それで結局ここでは見られませんと言われたらもうどこからも見放された気分になるんじゃないか。という怖い気持ちもありつつ。今はほかに手段がないのでお願いすることとにした。

それにしても、みる方の立場って選べる上にお金ももらえるのか。知識があるってそういうことなのか。と感じた。

 

でも

「10回通ってください、必ず直します。そのかわり100万円を前払いしてください。」

とかいうところだったらどうなのか。

必ずなんてきっとありえない。

前に読んだ、「自己啓発をやめて哲学をはじめよう」酒井穣 の中で

多くの自己啓発が、溺れる者に藁を売る商売になっていると書いてあった。

FUDというマーケティングの手法があって、これは

Fear 不安

Uncertainty 不確かさ

Deubt 疑念

の頭文字をとっているらしくて、この手法に引っかかりやすい人というのがいるらしい。

自分はそのタイプだから気をつけたいとは思う。

 

まあでも自己啓発全部が悪いということじゃなくて、実態のないものにのめり込んで現実を手放すっていうことはだめなのかなとか。

何が信じられるか見極めていくのも結局自分だから、やっぱり自分の知識だとか信じられる人を自ら増やしていくしかもはやないような、気がしている。

自分の目で見たり、自分で確かめたことを信じるようにはしたい。

だからこの先人との交流もできるだけ直でやりたいという気持ちは、きっとある。

 

心に抱えたものは、目にも見えないし繊細すぎる問題で、

結局どうなることが目的なのか。何がゴールなのか。

そうすると最終的には仲間探し頑張ったほうがいいんじゃないって思ったりするけれど。

 

自分に何ができるのか。

自分に自信をつけることをゴールとするなら、やっぱり結果を何かで出していくしかないような気はする。

言葉が当てにならないというのなら、自分だって行動するしかない。

それが自分のためになるわけで。

 

 

話変わって

 

映画「ライオンキング」を見たのだけれど、見た後になんとも言えない不安な気持ちになってしまった。

エンドロールの間ずっとやばい・・・という気持ちに支配されていた。

別に残虐な映画じゃなかったと思うんだけど、そういうのを見た後みたいな気持ちになってしまった。

すぐに立ち直れたけれど。

(アイアムアヒーローや寄生獣からは、まだ立ち直っていない所ある、つらい)

生命の循環的なものを、自分がまだすんなり受け入れられないからだろうか。

お父さんがあんな風に死んじゃったら辛いよなあ、という気持ちというか。

CGっていうのが少しこわくなった。本物じゃないのに本物みたいに見えるって、ある意味恐怖というか。偽物と本物はわかる人でいたい気持ち。

じゃないと騙されるよって、また騙されるとかいうところに行き着く考えが嫌だけど。

 

 

 

ダークツーリズムまずは広島から初めてみることにした。

ただ、いろんなこと知りたいという気持ちだけに突き動かされている。

人間が生きていること、人間が死ぬこと

地球があること、宇宙があること

命とはなんなのか

 

 

あとタバコをこの世界からなくしたくなってきた

隣の人たちがタバコをベランダでしかも夜中に吸っているから、寝ている間に自分の部屋がタバコ臭くなるのがやっぱり辛い

部屋に空気がこもる感じがいやで寝るときくらい窓開けたいと涼しい時は開けるようにしてて

それでもタバコくささに気づいたら窓を閉めることにしていたけれど

昨日自然の流れだと思って受け入れよう、と窓を閉めないでいたらシーツがタバコ臭くなってそのあとかなり格闘した

どうせ隣の人たちは、誰かに被害を与えるとかそこまで考えずにベランダでタバコを吸っているだけなんだろうなと思うとどうしたらいいかわからない。

もはや、眠れなさすぎてライターをつけるカチッていう音で「きた」と思って臭いが来る前に窓を閉めるようになれたのが収穫か。

夜中の2時とかに吸いに出ないでよと思ってしまうけれど

ここに引っ越してきた私が悪いだけなんだろうと考えると、どこでなら生きられるんだ、という気持ちにはなる。

私が我慢すればいいだけだから、と思ってもどこかで我慢ができなくて余計調子崩す。

こういうマンションは結構辛いとよーくわかった。

同じ用に作った部屋が同じ向きにひたすら並んでるだけで、誰かに飼われている気分。

飼育するなら楽だろうな、こういう作り。なんてね。

 

 

よくわからない疲労感に苛まれているよ

 

 

空洞

  • 2019.08.16 Friday
  • 12:02

子供を生きれば大人になれる」クラウディア・ブラック

を読み始めた。

私が今何のためにここに存在しているのか思い出した。

言葉が以上に刺さるので、苦しくなり過ぎて2章の途中で読めなくなってしまった。

すっごい泣いちゃうし、久しぶりに過呼吸になりそうだし。

図書館で読まなくてよかった、と思った。

 

つまり全然前に進んでいないってことなんじゃないかと思うと、やっぱり今更進もうって考えることが、間違いなのかもなと思ったり。

一応、いつからでも大丈夫って書いてあったけれども。

 

乗り越えるべきものが大き過ぎて、途方にくれている。

 

 

思ったけど、「毒親」って言葉は親を中心にした言葉で、アダルトチルドレンっていうのは子供を中心にした言葉で、同じことを言っているだけなのかもしれない。

私はアダルトチルドレンです。という人はあんまりいないけれど、毒親育ちです。という人がたくさんいるのは、なんでだろう?

 

5、6年前に依存症のカウンセリングに行った時、機能不全家族?とかそういうので育っている人たちのいるところに行って話をしたら、と言われたのを急に思い出した。

なんかプリントもくれた気がするんだけど、まああの時は相当に狂っていたからカウンセリングも途中で行かなくなったし、ほとんどのことはなかったことになっている。

夢だったと言われれば夢だった、で終わりそうな。

 

 

専門家に助けを求めてください、とあっても、今の精神科の担当医は違うのか?

医者というものが薬を出すためにいるなら、薬に逃げたくない私はもう先生の患者でいられない気がしていて、でもじゃあどうしたらいいの?となる。

元の先生の話をちょっとだけ聞き来たいと思って行くにも、今担当医がいるなら、うちでは見れないからと断られちゃうし。

カウンセリングも、胡散臭いの多過ぎてもう探すこともできない。

せっかく探しても、合わない人で、落胆して、お金だけなくして、っていうことを繰り返す自信もない。

間違いないと思う人は何年も待たなければいけなかったり。

 

 

よく考えたら人に否定をされない毎日って、まだ1年ちょっとしか経験してなくて。

未だにこんなことはありえないとどこかで思っている自分がいる。

ほとんどの人と接していないから、たまたまだよって思っていたりもする。

人生の大半は否定を誰かしらにされてきたし、自分でも自分に対してしてきたし。

それを消すのに同じだけの年月がかかるなら、もう無理でしょ、となる。

 

超肯定環境というものが、ひたすらにプラスなイメージを脳に与え続けるということができれば。

入院して徹底的に脳に何かするとか。

潜在意識の部分から変えることができるのなら可能性はありそうだと思うけれど、現代でそういうの出来るのか

英語を高速で寝ている間に聞いていたらマスターしたとかそういうレベルの話みたいな。

自然の時間の流れに任せていたら間違いなく終わらないよって気はする。

 

 

気づくとやっぱり親のこと考えちゃうし、電話でもしてみるかな、とか思っちゃうけど

電話したら「理想の親」になっているという期待の気持ちが大きいだけで、だから電話して落ち込む可能性の方が高いんだぞ、となんとか忘れるようにしている。

 

 

普通になれるならなりたかったよ。

なれないからこそ望んでないんだよ。

なれるよ、とか何もわからないひとに言われるのも嫌なんだよ。

心がチクチクしかしない。

悪魔の正体は

  • 2019.08.10 Saturday
  • 08:56

歌はうたいたいとあまりおもわないのだけど声は出したいのです。

ちからのかぎりに。

なのにできない。

それが辛い。

多分、人が気になりすぎているからできない。人は、もうありとあらゆる人。

誰が味方で敵かもわからない。


何が悲しいって、小さい頃自分が信じてた世界を自分が作れていないことかもしれない。

ずっとずっと辛かったけど、「この先は」きっと変わるはず、いいことかあるって、未来に対する希望だけできて、さすがにもうないでしょって思うのは当たり前と言えば当たり前だ。


この前ボイトレのカウンセリングに行ったのに、何かしなきゃ価値がないとか、そこにいてはいけないとかじゃなくて、人はいるだけで価値があるんだよと言われたのがすごい悲しかったのを思い出した。


2月に、名古屋のボイトレ行ったとき別の先生に生きてるだけでいいんだよみたいに言われたこともあったなーとなる。その時はごはん食べながらだったけど。


この前のカウンセリングで声を出すことがなく、やりますか?と言われて、どうやって決めるのかなと思ったんだけど、普通は声を出してもらってるけどあなたはできなかった、と言われたのが気になっている。

話より声を出したかったなーと思って、そうすれば本当に先生が信頼できる人かもかもわかる。

やっぱりわたしは声を出しちゃいけないのかなと落ち込みはじめた。

楽しくなりたいのに、話ばかりさせられて悲しくて泣いて。音楽はおいておいて、他に楽しいことないの?とか言われて。

色んなこと言葉では伝えられないから音楽を使いたい、歌ったりそういうことで伝えるしかできないと思っているのに、皆ありきたりな言葉ばかり求めてくる。

飛び交うありきたりな言葉。

ありきたりな言葉なんて私はいらないのに。


生きてるだけでいいとちゃんと伝えてくれる人に、もっともっと前に出会えていたらよかったと思ってしまう。今さら、そうなんだと思うのは難しい。実感できないことを理解はできない。

それは小さいときの虐待の本をだしている高橋和巳という精神科医も、大人になって無償の愛をもらうことは難しいから、自分の精神が世の中と繋がれないと自覚した上で生きていくしかないと言っていた。


無償の愛というものが人生でどれだけ大切なのかわかってきた、それが受けられる赤ちゃんの時をきちんと生きられなければ生きることはずっと苦しい。

だから電車とかで赤ちゃんを見ると苦しくなる。

多分、君は大丈夫?って思っちゃうんだろうね。


顔に出てきた湿疹は、授業受け続けているからだと思ってたけど違うからかもしれない。

だって授業は絶望するほど期待なんてしてなかったから。

あってもなくてもいいものなんだろうな。

なんで行ってるのかはよくわからないけど。

意地?

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM