「出会い系サイトで70人と出会ってその人に合いそうな本をすすめまくった一年間のこと」花田菜々子
を読んだ。
すごい期待していたわけじゃないけれど、出会い系サイトわたしも人と話す、つながりを増やす。っていうことで上手く使いたかったのに使えなくてもやもやしていた。
この人は本をすすめていたとは?どういうことだ?どうやってできたんだろ?という純粋な知りたい気持ちがあって。
だって、私のイメージ出会い系サイトって結婚する気ありますか?付き合う気ありますか?とかそういう人ばっかりで、ただ面白い話をしたいんですといったり友達欲しいと言うと時間の無駄させるなと怒られる感じがしたからね。
それで本をすすめてどうなったの?っていうことが知りたかった。
ちなみにこの著者、全く知らないし表紙の絵からしてチャラい感じの人なのかな?という印象だった。
でも、読んでいくうちにちょっと考えてることが私と近いかも、と前のめりになっていく自分がいた。
そんで読み終わって確信に変わる。
この人がやっていること、やりたいことって根本の部分がわたしと同じなんじゃないかなって。
本屋さんをしながらも、その人にあった本をすすめるということを今もやっていて、
あとがきに、わざわざ遠くから花田さんに本をすすめてもらいたくて書店まできた人の話があった。
こんなふうに知らない誰かの役に立てることがあるとすれば、それはやっぱり最高に幸せなことだ。
・・・
本を介してなら、気持ちを押し付けることなくこんなふうに知らない人と気持ちを交換できたりする。
こういうことなんじゃないかな、わたしの求めているものって!!!!という気持ち。
最終的にたどり着くのは言葉を超えた何か。
花田さんも夜の仕事をしていたことがあるみたいで、やりがいがあったと言っていて、だから一対一で話す基礎はそこでできてるのかもなと思ったり。
わたしも対話での手応えってわりと掴めるタイプになったと思っていて、そこから何かを引き出せるのでは?でもなんだかわからない・・・そもそも夜はお酒も入っていたし、目的があって飲みにきている人ばっかりなわけだから、通常状態で、何も求めてない人を目の前にしたらどうしていいかわからないかもなあ。とかいろいろ考えていた。
ちなみに花田さんの使っていた出会い系っていうのは、30分だけあって話しましょうというコンセプトらしかったので、すごいいいじゃん!と思った。時間が区切られている方が修行だと思っていく人間には都合がいい。男女の出会いというものよりは違うものに見えた。(とにかく人間調査がわたしはしたかった。。。)
それでも明らかに変な出会いを誘発してないのに変なおじさんとか、いっぱいいるみたいだった。(最終的にきもいおじさんに心砕かれてたし。しかもそのキモさの大元に気づいていたのが、それが私が気づいていたことと同じだと思った)
でもそれを超えるいい出会いがあって、この人のなかの色々悩んでいた答えにもつながり、現在に通じている。
心の底からすごいと思った。
途中に出てくる悩みがね、わたしの今と似てる
私の天職は何なんだろうか。それはヴィレッジの中にしかないものなのか。それとも本屋が天職なのか。いや、そんなことよりももっと低いレベルの話で、単に自分でいられる場所がないから、なんとか自分がやっていける場所がほしいだけじゃないのか。でも、私だってもう「自分が自分が」という、自分が世界の中心だった10代の頃はとっくに過ぎている。私だって誰かの役に立ちたいのだ。
ヴィレッジっていうのは、この人がヴィレッジバンガードで10年働いていたということを指してる。
ヴィレッジバンガード変わったってあったけど、それはなんか分かる。だってもうワクワクしないもんね。行っても。
数も増えちゃったし、個性的な部分が好きだった人からしたら今は枠の中におさまってるなーっていう気持ちはどっかにある。
それが経済の中で生き抜くってことなのかもしれないけれどねえ。
あとはこの人が最終的に、自分の行動から自信を得て、会いたかった人に会いに行って、たどり着いたこの答え
もう普通の幸せはいらない。恋愛も結婚もいらない。お金も安定もいらない。何もいらない。ただ今日見た光を信じて生きていこう。
私は別に会いたい人にあったわけじゃないけれど、すっごい同じ気持ち。って思ってしまった。
多分私も信じている光があるから生きているだけ。
でも
私が会いたい人って、いるんだろうか?それは誰なんだろう?
会える範囲で考えるのではなくて、本当に心から会いたい人。会って話してみたい人?なのか?
そこには生きるためのヒントがある気がする。
ただね、一番違う点は、私は本が別にそこまで好きじゃないってことだろう。
だから本じゃないんだよ。だからこそこの人にすんなり共感できているんだと思う。だってもし私が本大好きだとか、本で人に何かしたいとか考えてたら悔しいっていうか、負けたっていうかそういう気持ちにちょっとはなりそう。
でもそういうのはない。
ただ、私なりの方法で、精神的にこういう場所にたどり着けたらいいなあと思える。
それって何?って感じなんだけど。
私ってやっぱり自分で無から作り出したい人だし、誰かの作ったものを他人にすすめるってことじゃないだろうなあとは思う。
音楽はここに結びつけるものなのか?それさえもわからない。
でも、こうやって自分のしたいこと、やれることを見極めながら常識にとらわれず生きている人がいるってわかったら私もまだ何かやっていけるんじゃないかと、思える。
希望に見える。
だからすごいこの本を読んでよかった、と思った。
ちなみに早速その出会い系のページを見に行ってみたけれど、5年前くらいの話っぽいのでもう廃れている感じがした。
前を知らないけれど、パッとみた感じ活発に動いている感じじゃなかった。
本当に誰かと話す修行をしたいなって思うことは多くて、前に話す系のオンラインサロンに行った時は、主催者の人はココナラがそんなに爆発的に提供者が増える前だったのか、五百円で受けてひたすらそれを繰り返して数をこなして話すスキルを上げましたって言っていてさ。
もう今はあまりに人がいすぎて、何をやるにも、五百円にしても検索にもひっかからない感じだった。
コーチング習いに行っても、すでに1時間何千円からの世界だし、自分の1時間の価値を何十万円にすることがコーチングする人の目指すところ!的な感じだったし、誰かの役に立つ以上にお金の匂いがすごいする気がした。
お金払えない人は、相手にしないだけで、病気の人はカウンセリングに行ってもらいましょう。コーチングは目標に向かうものなので、プラスな人しかこないし、質がいいです。的に言っていたと思う。
お金を考えずに誰か目の前の人を元気にする的なことをしてみたかったのかもなーって思った。
それは、性欲とも別の話でさ。だから男女問わずで。
でもそういうの、どうやって動いたらいいかわからず終わっていた。
本当に度胸があれば、街でどんどんいろんな人に話しかけて、ちょっとだけ話しませんか?とかできるんだけどそれはね、さすがにできなかった。
だけど誰かと濃い話をしたいという気持ちは、すごいある。
なんなのだろ。趣味が濃い話を対面ですることなのかな。
内面的なさ。
短い時間で濃い話を引き出せるような会話ができるようになってくると、日常生活の世間話がつまらなくなってしまうって花田さんも書いていたけれどなんか分かる気がした。
当たり障りない会話とか、スーって終わっちゃうからね。
わたしは常に勝負がしていたいのか?
行動から未来は見えてくるのかも、って思うと人との接点をどんどん作っていかないとなと思える。
今はそんな気持ち。