追い詰められる

  • 2019.05.19 Sunday
  • 23:10

大学のテストとレポート提出がもうすぐそこに迫っていた。とりあえず動画を必死で流しているのだけれど頭痛い一回止めるか、と思っても止めている時間がないから延々流していた。

テスト明日までに受けなくてはいけないのにまだ受けていないし明日までの課題もできていない・・・

そして明日が終わってもすぐに出さなきゃいけないレポートが6個もあると今更知る。

さらに来週末にはテスト受けに行く日が来るらしい。何にも知らなかったと言うより知ろうとしなかった、自分で申し込んでるはずなのに。

授業受けに行こうと申し込んでいたやつは、なぜかもう一回申し込み直さなきゃいけなくて、期限が終わっていて結局受けられないらしい。これですでに単位2個なくなった。

どうして計画的にやらないんだろうなあと思いながらも、多分わかっていてもそんなやらなかったかもなと思ってしまう。

でもギリギリすぎて、余裕も何にもない。さすがにちょっと嫌になってくる。

頭がボケボケしていてテストも受けられない。

プログラミングしようと思ったらwindowsはキーが壊れてしまったのでできなくてmacでやるしかなくて、いざmacつけたら外付けHDDが異常ありとなっていて、ため息。とりあえず外付けはDTMには必要だけれど今はいらないからと諦めて今に至る。

 

 

KEYTALKの新曲がいいなとか、UKのバンドがいいなとか最近ちょっと思っていたのにもう今はそんな気持ちもお預けだ。

 

 

 

鐘が鳴らない

  • 2019.05.17 Friday
  • 23:49

私にとってうたをうたうと言うことは、勝負というか戦いだと思っている。

だから戦う前にすでに勝ちが決まっていたら、そこでうたう意味はない。うたえない。誰とって言うのは聞いてくれる人だろう。お世辞なんてただのつまらない空間を作るだけだ。だからお世辞を言うこともできない。そんなの失礼だと思ってる。

うたをうたう人ならまずは聞きたいと思ってしまう。話はそれからでいいんじゃないか。うたを聞けば大体のことはわかるんだから、無理に話す必要もない。せっかく聞きに来てるのだから話より歌ってくれればいいと思う。

逆にわたしがうたうときもそれを望んで欲しい。

ライブやってたとき、来てくれた人が終わったらご飯に行こうと言うことが理解できなかった。[せっかく来たのだからご飯くらいいこう]これは、理解できなかった。

そもそもご飯に行ければいい、勝負なんてどうでもいいと言われている気がした。

知り合いのライブも話せなくても全く問題ないと思ってた。ライブに集中してくれればそれでいいって。その人の伝えたいことは基本は話より表現から感じるべき。その場に行くならば。

たくさん話してくれるよりも、いいものを見せてくれることの方が嬉しい。


思い出すとライブ全然思うようにできなくて終わったあとにすみませんばっかり言っていた。もう責められるのもこわくて負けを自分から認めてた。


自信が欲しかったのに手に入らないまま終わっているな。


音楽は適当にやっても楽しければいいとかそう言う気持ちには絶対になれないと思った、一生。なれたら人生はもっと楽だと思う。でもなれないものはなれない



身体の中身が痛い。激痛だ。

なんだこれは。

つらい


めも

  • 2019.05.16 Thursday
  • 02:52

調子が一瞬良くなった理由がわかった。ここに住もうかなって言うところを見つけられたからだ。

でも、今空いていないので空き待ちで、何人待っているかもわからないし空いても住めるかもわからない。

冷静になれば、いつまでこの状態が続くのかと。全く進んでいないとわかる。

手の神経が過敏になってきていて、5年くらい前にスマホも触れなくなって体力も何もなくなって二階に上がるのもやっとだった頃に戻っているのかと思うと恐怖だ。

やっぱり意識しない日でも、実家にいることで確実に見えない毒が回りつつあるんだと思うとなおさら加速するきがして止められない。

 

もう使っていないLINEにきたろくでもない一言から、忘れようとしていたことを全部思い出して、どうして自分がそうなったのかを冷静に考えると、やっぱりまた同じことをしてしまうんだろうと言う不安しかない。

よく、男の人が女の人には手のひらで転がされるくらいが丁度いいって言うけれど、私の場合、手のひらで蹴られるような関係しか結べないのだと思う。蹴り落とされては、一瞬だけ優しく拾い上げられて、また蹴り落とされる。そう言うことにしか生きている実感を持てない。きっと。今でも。とどめは誰もさしてくれない。それはそこまでの価値を私に感じていないから。前にカウンセリングで、家で常に緊張状態にあって刺激フルな状態で育ってきているから、刺激のない生活に耐えられないのかもしれないと言われたのを思い出した。

本当に、今更このトンネルを抜けられるんだろうか、こんなに変えられなかったのに?

 

昨日道が見えたような気がしたのはなんだったのか。

一度死ぬことができれば(心が)生まれ変われるってそれが治療法だと私が会ってみたい精神科の先生の本に書いてあった。でも、死に方がわからない。私の根っこが強すぎて、心さえも死ぬことを許さないのか、やり方が間違っているのか。小さい私が、自分を忘れるのかと、睨みつけているような気もする。

一回自分を殺し忘れると言うことは、自分を裏切ることになるんだろうか?

その先生は、私たちみたいな人は生きている世界が違うのだから理解することは困難だと書いていたけれど、私からしても普通の人が理解できなくて、誰も教えてくれないし、どれだけ本を読んでもつかめていない。そして大学の授業でもそんな答えはないだろう。

だから、だんだん何をしても無駄かもって思ってしまうのかもしれない。

 

寝れないことでもさらに絶望感で満たされている。

 

ここで表面だけを直しても無理って言うのはよくわかった。

生きるか死ぬかしかなくて、生きるを選択するしか道はない。

 

でもそれは右なの左なの?

 

 

 

 

山ちゃんは真面目なのか

  • 2019.05.15 Wednesday
  • 23:10

この映像、面白い

ごっちの真面目なような顔とか、踊りとか

でも一番きになるのは、山ちゃんと言われるベースの人の素っぽさ。笑。

 

 

 

大学のテストを受けるのにまだつまらないメディア授業見ないといけないと言うので動画を流しながら違うことをついしてしまう。

なんだろ。一応自分で選んで取っている科目なのに、ただ教授の話を延々90分流しているだけとか全くつまらない。時代的に流れが古すぎる。サイバー大学の方が楽しく学べたかな?と今更思ってしまう。大卒資格のため、我慢。みたいになってきている。

独学している方がはるかにためになるものあるんだけれど独学では資格が得られない。

 

資格といえば、都営団地に申し込もうと思って調べていたら同居の家族がいたらダメと書いてあった。

家族が原因で、障害者認定までされていて、酷くなるから実家にいられないんだけれども・・・?と思ったところでダメらしい。

DV配偶者の被害者ならオッケーとかあったような?システムが全くなんのためにあるのかわからない。

DV被害者をかくまう施設はあるみたいなので、DVしてくれる人と結婚してそこに逃げ込むまではかくまってくれないらしい。なんだか変なの。もうますます何も期待しない。

 

まともってなんだろう。誰から思われることを意識しているんだろう?何にこんなにこだわっているんだろう。

よーく考えれば誰からも責められてないのに、毎日誰かに責められている気がするのはいつか止まるんだろうか。

私に死ねと言った人は元気かなと思ったりする。もちろん誰かも知らないし、言った方も私のことさえ覚えていないケースが多いんだろうけれど。本当にどうでもいい事にとらわれているね。

 

私って結局もうやりたい事やってしまったからこれからに困っているんだよ。きっと。

バンド組んで仲間に必要とされたいって、それだけだったもんね。やってみたけれど別にその先に道はなかったと言うだけ。

今更、必要とされたいからバンド組むって言うのはもう違うと思っている。今までと同じことをしても意味ない。

自分を押し付けるような歌にも興味がわかない。

今バンドを組むって考えても正当な理由も思いつかない。だからバンドじゃないのかなって思ったり、じゃあ小説でも書くか?とか、絵でも書くか?とか考えたり。でも一人でやるのはつまらなそうとかさ、そんなくだらない理由なんだよ、結局。動かないのは。

そもそも自分中心に考えて出てくることなんてもうしたくないんだよ。私が私が!と頭がなるのを自分ですごく嫌っている。

でも。人のため?じゃあ誰のためにやるのかって、そう言うことをぐるぐる考えてしまっている。

で、結局人間のこと好きなの?好きでもないとしたらそんな人間のために何するの?で思考が止まる。

 

ダメだ、まだダメみたいだ。

自分のことは好きになる必要はないんだけれど、他人の存在は好きになると言うか、認めると言うか、生きている生物に対しての気持ちがもっと出てこないとダメだ。少なくとも自分から働きかけるエネルギーが出るくらい。

どこに行ったら生きてるって、人間て素晴らしいってなれるんだろう。

 

 

そういえば今日ショッピングモールでたまたま弾き語りをしている人がいて(何かの賞で優勝したとか言う「実力派シンガー」らしかった)

何か私に訴えてくれないかな。心が揺さぶられるような何か。とすっごい期待して聞いたんだけれど、一曲も聞かずにその場を去ってしまった。

感想としては「なんだかいい人が上手い歌を歌っているんだね」

それだけ。人の表現なのに、切迫した何かが欲しいとつい思ってしまう。みんなそんな切迫して生きてないし、そもそもショッピングモールなんだから朗らか重視なんだろうにさ。

でもさ。期待を裏切られて少し悲しかったんだよ。勝手にさ。

 

自分の気持ちについていけないよ。

 

 

何回目の復活か

  • 2019.05.15 Wednesday
  • 00:08

数日間、薬を飲んでぼーっとして、とうとう起きるのも辛くなって横になって部屋のカーテンも開けないでという状態にまでなって、意識してというより父親に今自分の思っていることを話したら、少しだけ通じた気がして気持ちが軽くなったのか、次の日から普通に薬も特に飲まなくても平気に、戻った。

原因がそれくらいしか見当たらないというだけで、普通に自然の流れで復活しただけかもしれないけれど。

ちなみに父親も自分の過去の言動に覚えはないらしい。そんな、私の言うことが本当だとしたらひどい親すぎるじゃないか。信じられないと返されたけれど、もういいやと思った。

そんだけひどい目にあっても自分がまだ生きていると言う事実を見たほうがいいなと思った。

ずっと親に対して死ねなくてすみませんと思っていたことを実感した。両親二人に生きると言うことを見放されて、社会からも見放されて、それでも死ねない私は何なんだろうかと思っていたけれど一回その思考は停止させたほうがいいなと思った。

よっぽど生きたいのかもしれないね、私は。自覚していないけれども。

沈められても沈められても浮上してしまう事に自分でもうびっくりするしかない。

 

久しぶりにジムに行って、もう慣れているプログラムだったけれど、急に最初の頃みたいにうわーって感動と言うのか気持ちが、泣きたいみたいな感じになって、あれ、やっぱり私はここ最近ずっと心があんまり動いていなかったのかもなあと思った。そうしたら急に歌いたいなと言う考えが頭に出てきた。

ジムにいると、たまにライブってこんな感じなのかもなあと他人事のように思うことがある。暗い中照明がピカピカしていて、うわーっと盛り上がっていて。眩しくて何も見えなくなる瞬間とか。そう言う時心が反応しているのかもしれない。

だからジムに通い続けているのかもしれない。身体のことだけじゃなくて、心のためにも。そんな風に思う。

 

少しうたってみたら案の定声の出し方が全くわからなくて、でも身体の使い方がわかってきていたから前より楽に声が出せるなとは思った。やっぱり、やっていることはいろんなことに繋がってくるんだな。

すごく辛い気持ちの後は、ありえないくらい、いい時間が来るのかもしれない。心って不思議だ。澄んでいる。

今すごく外に向かって感覚が開いているのを感じる。

 

なんなのだろうね、この感覚は。いつか誰かに伝えることができるんだろうか。

記録

  • 2019.05.11 Saturday
  • 01:53

もう起こる事に感情がついていけなくなったので、色々な事を諦めることにした。諦めるというか、望まないというか。

このまま耐えて、違う人格が出てきても、私はもう追い出す自信がないと思った。私は普通に正しい事を言ってやっているだけなのに、異常を受け止めるために薬を飲む行為は嫌だった。でも自分を守らないといけないかも、と感じて

昨日また恐怖を感じながらも薬を飲んでみたら、頭が一気にぼーっとしてお酒に酔ったみたいなあの感覚が来て、「あれ、楽だ」と思ってしまった。怒りだとか、そういうものを撒き散らすエネルギーも消えた気がした。動作も鈍くなった。鏡を見たら入院していた時の目つきになっていた。たった一粒で。

ずっと薬を抜いて、身体も余計な毒を出してきていたから効き目がすごくて、鎮痛作用がすごいと思った。

何を言われても、感覚が鈍っているので心の芯には届かない、別の世界で起こる出来事におもえる。

全てを手放せた感じがした。ただ楽になれたことが嬉しかった。

馬鹿みたいに毎日やる事を決めて必死にやっていたけれど、頭も働かなければ文字の理解能力も落ちる。だから今は努力を諦めるしかないと思った。薬を飲むそれが代償だ。

 

治療が受けられないと知りながら高橋先生の本だけちまちま読んでいて、他に解決策はないのだろうかと探っている。

先生のカウンセリングを受けにくるネグレクトを受けて育った人の話がわかりすぎてないてしまう。

普通の親ならこうするっていう話は、え、親ってそんな事言ってくれるものだったんだ。そんな人って現実にはいないと思ってた。

何があっても守ってくれるのは親だったのか、知らなかった。という衝撃は強い。

大体2歳児までに自己愛がうまく作れないとその人は一生苦しむとあって、でもおぼえてないじゃん。

自分が2歳までの間に起こったことなんてさ。想像はできるけど証拠もないし、しかもそれがわかって、そこからどうすればいいのか。

コフートって人の考えたカウンセリングがいいらしいよ、さがしだせるかな

なにかの努力をしてれば生きてていいよと誰かが言ってくれる気がしたの。だから努力をしてなんとか、生きてる事を誰にも責められないようにしたかった。

やっぱ生きたいのかな?

精神的に死んでも、本能が生きる方に動き出すって本当か。

だからもう身をまかせる事にした。

 

それでも明日、何の決断力のない私に父親がいくつか物件の候補を持ってきてくれるらしい。話が通っていれば。

場所がかわれば、力が湧くのかな。

どうしてかくまってくれる施設は、ないんだろうね、残念だ。でも価値のある人をかくまうならまだしも、こんな人間かくまうメリットがないのかもね。わかってるよ、だからね、いいの。

 

中学の時から、だれか助けてくれないかな、この生活から抜け出させてくれる人はいないかなって、夢みてたことははっきり覚えている。駅の階段を上りながら、そういう人にたまたま出会って連れ去ってくれないかなと期待してた、でも何も起きなかった。

朝起きたら全く違う家の子になっていてらいいなと寝るときにお願いをして、目を開けてもかわらないいつもの部屋に落ち込んでた。

もう一生ここから抜け出せないのかもしれないと、薄々感じ始めていた。

大人になるまで耐えられるとは思わなかった。実際、大人になる前に完全に何かは崩壊した。

それでもだれにも悟られず真面目にやっていけた。本心なんてどこにあるのかはもうわからなくなって行った。

せめて誰かの望む自分でいようと決めた。

できればその誰かがたくさんいてくれたら安心だから、一番たくさん望まれる自分でいようと思っていた。

 

話の通じない人

  • 2019.05.08 Wednesday
  • 22:57

親が信用できないので洗濯物を自分で自分のぶんだけ別にして洗って、干している。一切触らないでと何回も伝えているにもかかわらず、乾いていないうちに取り入れられてしまう。基本的に家のタオルだとか、いろんなものはくさい。いっつも生乾きなんだと思う。それが嫌だから別にしているのに意味のないことをされる。やらないでということをどうして勝手にやるのかわからない。

感覚がずれているのは仕方ない。なのに結局線を引いてもその線を見えなかったと勝手にズカズカと人の場所を荒らしていく。

やっぱり常識が通用しない。感謝もしていない、迷惑だとはっきり言っていることを懲りもせずやり続けるのは、人に対する嫌がらせなのか、なんなのかもはやわからない。

自分は何にも悪くないはずなのに、また乾いていないのに入れられた洗濯物の山を目にして、どうにもならない気持ちになっている。

もうどうしたら正解なのかわからない。

やらないでと伝えるだけでもダメ、怒鳴ってもダメ、じゃあ暴れるしかないのかと、悲しい気持ち。

狂った人には狂った人になって対応するしか思い浮かばない。

とりあえず収まらない気持ちは安定剤しか対応しないんだろうか。なんで、自分は悪くないのにそんなものを飲まなきゃいけないんだろう。

とりあえず乾ききっていない洗濯物が大嫌いだとわかった。

マンションの時は、まだ乾いてないなと思ったら次の日までも干していた。みんなが取り入れてるからもう干さないなんて理由で、自分が不快になることをしたくはない。

息が詰まってくる。

自分で死ぬのは自分がかわいそうだから、せめて殺してくれないかなと思うのだけれどそれもめんどくさいし、犯罪者になりたくないから嫌らしい。見えないところで勝手に死ぬならいいらしい。

せめて本当に悪いと思う気持ちがあって、愛情があるなら殺せるんじゃないかと思ったんだけど、違うの?

簡単に子供って作れるのに、それをなくすことは簡単じゃないのね。

恐ろしいよ。

 

生きてる人見つけた

  • 2019.05.07 Tuesday
  • 23:47
山田孝之のドキュメンタリー映画「no pain,no gain」を見てきた。
すごいよかった。何だろう。山田孝之のことほぼ知らないけど題名に惹かれて見に行って、最初のところですでに、自分に限界を作りたくないみたいに言ってるのを見て、この人の生き方好きかもしれないと思って、最後すごい好きになってた。
死にたいっていうのはさ、生きたいってことなんだよ。当たり障りない毎日を繰り返して死にたいと思わないけど生きてる実感も特にないとか、やっぱりわたしにはそんなの無理だしする必要ないってはっきりわかった。

それを押し付ける人とも縁を切るべきかもしれないとさえ思う。
この人は、本当にかっこいいよ。感情がある。また尊敬する人増えた、けどどうしてすごいって心から思える生き方をしている人は遠くにしかいないんだろ?現実世界でなかなか出会えなくて私は間違ってるのかと思ってしまうよ。いるはずなのに。
でもそれもわたしの頑張りが足りないだけ。
これだけ気力をもらって、ただ寝るなんてただのバカな気がしてもやもやと起きている。何かしないと。
そう、時間はない。
最近いろんなことに心が動かなくなってたのって、人間がそこにいる感じがしなかったからかな?と感じてきた。どうせコンピューターでやってるんでしょ、合成でしょ、修正でしょ、そんな感じで冷めてたと思う。
まだ人間ぽさを求めてもいいんだって思えたことに救われた気がする。
私はこの前キングダム見たときにもう映画は終わったなと思ってしまったんだけど、山田孝之は自分が50代とか、上の世代になった時に日本映画はもっと良いって言ってもらえるようにしたいって言ってて、思わないと始まらないことってあるよねとわかった。
バンドにしても、動画にしても、もうダメだと思ってたのはどうしてだろう。時代はもちろんあるけれどダメだと思ってたらそりゃ何もできない。けれどもうしらないと離れることもできないなんて本当に中途半端。

いろんな知識入れてるからね、なんだってできると思うよ、やろうとさえ思えばさ。本当にそこだけ。
自分は何がしたいのか。
人間が好きなのか、人間が嫌いなのか。
嫌いならやれることはないから、好きだとどこかで実感したい。
人間のために何かをしたい。
そんな気がする。
そのためにずっともがいている。

悪夢

  • 2019.05.06 Monday
  • 13:01

調子をもう崩した。実家に帰って二日も持たなかった。

また死にたいとしか考えられなくなってうなされている。

外に5泊くらいしてやっとそういう気持ちが抜けたのに、こんなにすぐ戻るってなんなのか。

もう本当に、向けられるたった一言、些細なことでさえ毒針のように身体に刺さって動けなくなってしまう。


本当の愛情があるなら

かわいそうだから殺してあげるって言うのも優しさじゃないかと思う。

殺すのは嫌だから勝手に死んでって、そんなのあんまりだ。

きたく

  • 2019.05.05 Sunday
  • 23:56

部屋に放置している間にパソコン治ってないかなあなんて気楽な気持ちでいたけれどパソコンは治っていなかった

男に依存する女の人は苦手だと漠然とやはり感じる

何かに依存しないと人は生きていけないものなのだろうか。だとしたら何に依存するのが一番楽だろう?

今は私は依存というか興味が尽きないのは正しい姿勢で動くことと、勉強かなあと感じる。あと読書?

先月は久し振りに30冊くらい読んでいた。最近人工知能の本は大体頭に入ってきてしまったので、新しい分野で経済の本がちょいちょい入ってくるようになった

やっぱ根が真面目なのか、遊んでるより不安がない。先が見えないことをすることが一番の不安だな。

1週間ぶりに整体に行ったけれど、やっぱり通うだけじゃ姿勢良くならないだろうなと感じた

ピラティス行きたいな

身体と向き合うのは面白い。変についた脂肪も、なんでここについたのか?って考えると面白いよ。正しいことをすれば身体は確実に正しい方に向くからね。

 

ちょっと先のことが考えれるようになったかもしれない。と感じる

 

 

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